2006年03月16日
キリスト教式幼稚園と特攻隊
元陸軍特別攻撃隊(いわゆる特攻隊)の生き残りだった。
15歳で志願したばりばりの軍人である。
アメリカ嫌い 隣の国ぎらい 大阪人嫌い 東北人嫌い 海軍嫌い
アメ公 毛唐(けとう)チョ○ジン チャ○コロ ゼイロク(大阪人のこと)
いなかっぺ などの差別用語言葉が飛び交っていた。
日本は東京だけからできていると考えていたようだ。
死ぬまで、北方領土や竹島どころか、朝鮮半島や満州(中国東北部)、
北は、サハリンまで日本の固有の領土と言っていた。
私が、13年前香港で1年ほど働いていた時、
『馬鹿野郎、このすっとこどっこい、パスポートなんかもってきやがって、
おれは、鉄砲はかついで、満州に行ったことはあるが、
パスポートなんてわけの分からないものは、もって行かなかったぞ、
しっかり働いて、占領して来い』と送り出された。
まるで、出征兵士のようだった
小さいころから、家の中は軍隊だった。
朝から航空体操、酔っ払って帰ってくると 手旗信号である。
昨年 映画『亡国のイージス』を見に行って
ラストで主人公の真田広之が 手旗信号をしていたのを見た時、
昔のおやじを思い出した。
軍国教育をさせられたにもかかわらず。なぜか、キリスト教幼稚園
(いまでは、当たり前だが、その当時 埼玉県のいなかでは、めずらしかった)
に通園させられた。おかげでいまでも 賛美歌を歌うことができる。。
たしか こひつじ幼稚園といった なんともなさけない名前である
日曜日は礼拝ということで、土曜日が休みのへんな幼稚園だった。
私は、おやじに子守唄代りに教えられた 『軍歌』を お遊戯の時間に歌って
先生から苦情が来たそうである。
いつも 『アメ公は敵だ』 『鬼畜米英』 と教えられていたので、
幼稚園に1人いた外人を仲間を引き連れて、いじめていた。
ある日、そのアメ公が、 うんこを漏らしながら、
滑り台をすべっているではないか!?? 短パンからものが
はみ出ている。滑り台に線のような くそのあとがついているではないか!
これは、たいへんだと そのアメ公をこてんぱんにしてやった。。
その後、そのアメ公は二度と幼稚園には来なかった。
子供ながらに『日本の平和を守った。』と思った。まさしく専守防衛である。
おやじのかたきを取った。米国に勝った!!
後日 当然のことながら、先生におやじが呼び出された。
おやじからは、 『よくやった』とめずらしくほめられた。
ところが、幼稚園からおやじが、帰ってくると、
いきなり『ばか野郎、あれは、オーストラリア人だ、よく見て攻撃しろ』
とどなられ、パンチを食らった。そんな区別が子供にできるはずない。
追伸 私は人生で2度 『うんこ事件』
(皆さん、ちょっと汚くて申し訳ないが)に遭遇している。
もう一回は、30年後にやってくる。
その時の主人公は家庭には仕事とSEXを持ち込まないK君である。
これについては、ちと長くなるので 後日ご報告しよう。