2019年04月30日
平成バブルに踊らされた私たち!!明日から令和だ〜
今日で平成も終わりだ、思い出すと懐かしいことばかりだ、、
それから月末などには銀行のディーリングルームに挨拶回り、、
昨日も書いたが、平成元年に私は埼玉銀行から、
為替ブローカー メイタントラディションに転職した。。
当時、銀行のディラーと比べて為替ブローカーの地位は
かなり低く見られていたので
埼玉銀行の支店にいた私は、為替ブローカーの面接を受けに行くと
ご両親が悲しむからやめときなさいと、これまた東京銀行から
出向してきていた戸上さんという役員に止められた記憶がある。。
(ブローカーの役員は日銀&都銀からの出向者ばかりだった)
そう言われるとどうしても転職したくなるのが私の性分、
そんな忠告は御構い無しに銀行をさっさとやめた。。
ブローカーというと響きは悪いが、、
銀行と銀行の間の注文を電話でとりもつ仕事といえば
わかりやすいかもしれない。
まあ、築地いや豊洲の青果市場のような感じだ!!
瞬発力と大声、体力があればバカでも務まる仕事だ。。
今では電子ブローキングというシステムで
銀行のディラーは取引するので、
8社あった会社も半分以下に減ってしまった。
ちなみに当時のメイタントラディションは
業界でも最下位の会社だった、だから私でも簡単に転職できた
今ではトップクラスの会社なのだが、、エイドリアンは元気かな〜
世間の皆さんは、 NHKのニュースなどでよく報道されていた
上田ハーローの円卓が記憶にある人が多いと思う
仕事は9時から始まり、銀行のボイスボックスに向かって、
『おはようございます!メイタンです』と叫んでレートを流し続ける
銀行のディーラーはそのレートに興味があれば、
マイン!(買う)ユアーズ(売る)!と
叫んできてディーリングするわけだ。取引成立すればダン!
複数の銀行ディラーに同時に叫ばれると、
スタッフィングという取引不成立の状態に陥ることがある、、
これはブローカーにとって一大事!
差損が発生して弁償しなければならなくなる、、
一瞬のうちに2000万円の差損なんてザラだった
12時〜13時半はなぜか昼休み、、
そして13時半〜15時30分で後場が終了、、、
それから月末などには銀行のディーリングルームに挨拶回り、、
三越でまい泉のサンドイッチを300個!
ケーキを100個おにぎりを200個など差し入れする。
そして夜は接待三昧!!銀座の高級レストラン、クラブ、
赤坂の料亭などで銀行のディラーをもてなす。。
ノーパンしゃぶしゃぶも本当によく利用した!!!
ノーパンしゃぶしゃぶとは→詳細
帰りはもちろん空飛ぶジュータンと呼ばれた
タクシーチケットで帰宅してもらう。。もちろん自分も
私は、某埼玉銀行や、某太陽神戸三井銀行、
某第一勧業銀行など接待が好きな
大手行を担当していたので、毎晩のように接待をしていた。
接待さえすれば仕事が取れる。。そういう時代だった。。
法人カードなどなく自分のカードで立替払いしていたので大変だった
月に500万円くらいの支払いになっていた。
5枚くらいのカードを使い分けていた。。
銀行からいただく手数料が
今の10倍以上だったのでなんでもありだった。
私は銀行さんから手数料を毎月5千万円から1億円くらい
いただいていたので接待費の上限などない、、
カードのポイントが数十万円すぐに貯まり
高級スーツなどに替えていた
それぞれのカードが毎月100万以上の支払いになるので
5日の引き落とし日前日になるとクレジットカード会社から、
電話がかかってきて
『いつもご利用ありがとうございます。お支払いは大丈夫ですか?』
と連絡が来る、、でも毎月支払いは遅れずにしていた、
ある日二日酔いで具合が悪い時に、その電話がかかってきたので
『バーロー毎月払っているだろう〜〜責任者出せ〜〜』と
叫んでしまった、、サイギンUCカードだったのだが、
『喜多野です。。ササゴくん?ですか』と、、
埼玉銀行時代ひばりヶ丘支店の上司だ〜カード会社に出向していた
『羽振りがいいみたいだけど、、何しているの?』
思わず、『すいません!!必ず支払います』と言って電話を切った。
こんな毎日が二十代後半の出来事だった。。。。
この記事へのコメント
1. Posted by キラーカーン 2019年05月01日 15:21
実に面白い!!