2019年05月05日
平成バブルの為替ブローカーいいこともあったぜ!!
私は、他通貨デスクのチーフをしていたことがある。。
スイスフランや、英スターリングポンドも

毎日毎日、何千本(何百億)もリーブオーダーを頂いて管理する。
そのうちに世界中から、ミスターDKBと呼ばれるようになった。

他通貨、、今ではユーロになってしまったドイツマルク、
フレンチフラン、イタリアリラなどなど、
スイスフランや、英スターリングポンドも
ドルと円以外の通貨を取り扱うデスクだ、、
そこで某DBK(第一勧業銀行)を担当した。
そのディラーで本当に真面目なM瀬さんという人がいて、
接待や差し入れは一切受け付けず
その代わり、ドイツマルクの先物レートなどをポケベルに
(その当時携帯電話などない)
15分おきに入力をするよう頼まれたり

ロンドンの先物マーケットがクローズする日本時間深夜1時過ぎに、
電話でマーケットのクローズを連絡するなど
朝から晩まで、大変だった。。。睡眠時間は毎日3時間ほど、、
土日は死んだように眠っていた。。
日本の休みもヨーロッパ市場が動いていれば出勤して働いた。。。
その厳格なM瀬さんは、なぜか私にしかオーダーを出さなかった
毎日毎日、何千本(何百億)もリーブオーダーを頂いて管理する。
ディーリングはお任せなので銀行のディラーになった気分だ。。
しかし緊張はする。。
そのうちに世界中から、ミスターDKBと呼ばれるようになった。
こちらが接待するどころか、週末に逆にご馳走していただいたり
家族に贈り物をいただいたりした。。
神様みたいな人だった。そんなディラーは後にも先にも彼だけだった
毎月5000万から1億円は手数料を落としてくれた。。
今では考えられない。。
その時のロンドンの部署のチーフは、私とほぼ同じ年、、
私がオーダーを出せば出すほどロンドンサイドも
カウンターパーティがあるので大儲け、、
そのチーフはみるみる間に出世して最後は
ロンドンの社長になってしまった。こちらは平社員だぜバーロー
2枚目なので映画にも出演していた。
ある日、、その日も深夜1時まで仕事をしていた。。
ロンドンから、六本木のモータウンハウスというバーに
友達が遊びに行っているから飲みに行ってくれないかと
国際電話がかかってきた〜〜

客は外人ばかりのバーで治安も悪く、
テレテートという為替情報端末がなぜか置かれていたので
ディラーに人気のバーでもあった。。
これから飲むの、、、もう1時なのに、
まあ、しょうがない行くか〜と六本木に出撃した。。。
モータウンというバーに入るやいなや、クラッカーがなり響き、、
シャンパンタワーでドンペリが注がれている、
貸切だ、、ロンドンにいるはずのチーフや、
よく知っているロンドンの仲間が皆集合しているではないか!!
そうだ、すっかり忘れていたが、、その日は7月16日
私の誕生日だったのだ、、あっけにとられたが、嬉しかったな
そして朝まで飲んでしまった。
そのまま出勤して翌日は睡眠時間ゼロのまま仕事だった。。
こんなバブルな毎日が為替ブローカーの生活だった、、
続く、、、まだ?????
