爆笑昔話
2008年02月05日
今昔物語!!!!!!
海外から来客があると聞いた。。
名前は、ペギーさんとポールさん
なに!!!
ペギー葉山と ポール牧!!
なんや、、、、
年季の入った同世代の秘書は笑って、意気投合してしまったが、、
10歳以上年下の女性社員は、、、なんのことやら!!
ペギー葉山ってだれ!!! バーロー 根上淳のかみさんやねん!
南国土佐を後にして を知らんのか!
ポール牧って、大阪府知事だった人??? おいおい、それは、横山ノックや!
だんなが、大阪人(カステラ王子)のくせに、横山ノックとポール牧も区別つかんのか!
両方とも ハゲやけど!そして、両方とも死んでるやんけ!
昔、コマネチ!!とギャグをしたら、それって、ソ連の選手ですか?と言われた
ルーマニアのコマネチやねん!!! たのむぜ!!!
しかし、月光仮面も黄金バットも,狼少年ケンも、サリーちゃんも、ウルトラQも わからない世代が増えてきた困ったものだ。
バーローーーーー!!!!!
2006年06月25日
球技大会乱闘事件
以前、『応援団との死闘』のブログで書いた続きだ。。またまた、馬鹿者、応援団と戦うことになった
高校2年のときに、運動会の代りに、球技大会が行われることになった。高校1年から3年まで各クラスで1チームづづ ハンドボール、バレーボール、バスケットボールなどのチームを出して、トーナメントで争うという無謀な企画だ、上級生が有利に決まっている。高校1年のとき、あの応援団事件の1年後だ、私は、ハンドボールで出場した。今から考えると馬鹿馬鹿しいが、なぜかみんなで熱くなった。準決勝で高校3年のこれまた応援団のやつが、多いクラスとぶつかった。絶対勝とうということで、試合前から殺気だっている。
コートのまわりには 馬鹿な応援団の連中が取り巻いて、ぶん殴れとか罵声を飛ばしている、試合中にもどさくさに紛れてパンチをくらった。こちらも蹴りで応酬した。1点リードで向かえた後半、味方が相手の攻撃をラフプレーで防いだ。その瞬間、両チームというか、数十名の応援団がどさくさに紛れて乱入しての大乱闘だ!制止するはずの先生がなぜかいない。??もう暴れるしかない。。あっという間に5,6人に囲まれたが、こちらも殴るけるで応戦。
神聖なるスポーツ大会は、校長の目前のハンドボールコートで大乱闘だ。体操着が破れて、けが人が続出したが、とりあえず試合には勝った。ざまあみろ!すぐに 生活指導部に呼び出されて、午後の試合は棄権するように、勧告。しかしなんで 棄権しなきゃいけないんだよ センコーの馬鹿野郎
結局、出場して優勝した。後にも先にも、下級生が優勝したケースはない。 日本サッカーもこれくらい気合をいれて1人1殺でやってほしかった。
6ヵ年教育の学校だったので、こういうスポーツ大会は中学と高校の日がそれそれあり、高校の日は中学生がたくさん手伝いに来ていた。もちろんその中学生もその乱闘を目撃していた。翌日 学校には、中学生の保護者から苦情の電話が殺到した。いちいち ちくるんじゃねぇよ
ということで またまた馬鹿な上級生と不穏な関係になっていった。翌年の卒業式の日、朝一番で教員室に呼ばれた。危険なので、いますぐ帰宅するようにとのこと、お礼参りか
結局、たまたま同じ駅に住んでいた担任の先生に護衛してもらいながら帰宅した。。雪駄で構内を歩き回るへんな先生だったが、帰る途中でうまい鰻を奢ってくれた。先生は昼間から熱燗を飲んでいた。 『お前も飲むか!』と言われたが、やめといた。というか学生服で呑んでたらまずいだろうが!!なんだかわけのわからないへんな学校だった。
中学・高校関連ブログ ⇒国士舘VS朝鮮高校 臨海学校 奮闘記
2006年05月16日
壮絶 『うんこ事件』
そろそろ、あの 『うんこ事件』についても語らなくてはいけない時期がきた。あまり書きたくない話題だが、読者のリクエストがあまりにも多かったので、やむなく書くことにした。
登場人物は、シンガポールのK君、くろんぼジョニー、そして、あの伝説の巨泉さん、そして、三原のさんしん亭だ!。
途中からブログ読者になった方は、まず、基礎知識として下記をお読みになってから、続きを読んでほしい。
巨泉さん関連ブログ、 恐怖のさんしん亭、くろんぼジョニー、シンガポールK君
さんしん亭では、時折、スーパーコンパニオンを呼んで、宴会を開催していた。
まず、高校時代の同級生がその仲介をしているのだが、3,4人のコンパニオンを呼ぶ、そして、最初は普通に飲んでいるのだが、途中から野球拳をやりはじめて、最後には、スッポンポンになって、場合によっては、女体盛り、わかめ酒まですることもある。さんしん亭はガラス張りの店なので、道路から丸見えだ。その時は、作務衣を来た三原が、カレンダーなどを使ってそとから見えないように、細工していた。
土曜日の5時ころ、そのスッポンポンパーティに10人以上の仲間が集合した。しばらくすると、スーパーコンパニオンの登場だ。がぜん盛り上がる。野球拳がはじまった。なさけない、参加した男がとにかくジャンケンが弱い、つぎつぎと、裸にされていく。男の裸を見に来たわけではない。新顔を投入して、なんとか、コンパニオンを全裸にすることができた。ここからは、巨泉さんの独壇場だ。裸のコンパニオンを隣に座らせて、イッキのみさせるは、へんなところに指を入れるは、したい放題だ。
女性はさすがに嫌がっていたが、おかまいなしだ。一人のコンパニオンは巨泉さんにつぶされて、全裸のまま横たわっている。そろそろお開きだということで、その意識不明の女性のためにタクシーを呼んだ。
ところが、誰が送っていくかで、巨泉さんと、ジョニーがもめ出した。ジョニーは、その女性を裸のまま抱きかかえて、店を出ようとした。そこへ、巨泉さんが体当たりだ。女性が危ないので、K君がジョニーからその全裸の女性を変わりに抱きかかえた。巨泉さんとジョニーは、がちんこでけんかしている。結局、K君が、その全裸の女性をコートにくるんでタクシーに乗せた。その醜い戦いに勝利した巨泉さんが、そのタクシーに乗り込んだ!。その日、バーバリーの白いセーターをきていたK君が外からもどると、なにかがへんだ。かなり汚れている。よく見ると、茶色&赤色ような、なんというか いい臭いもしている。。。まさか〜〜〜〜
あのコンパニオンが泥酔して、もらしてしまったのだ、しかも生理中だったようで、K君の高そうなバーバリーの白いセーターは茶色と赤色の2色に染まっている。私は、とりあえず。なるべく離れた所に退避した。さんしん亭の三原はヤクザから仕入れているであろうおしぼりを持ってきて、K君のセーターを拭いている。意外に親切だ。
巨泉さんは、そのうんこまみれ&血だらけの彼女をお持ち帰りだ。さすがだ!タクシーの白いシートもたいへんなことになっていたようだ。そのあとの、行為については、本人しか知らない。たぶんずっぽししてしまったのだろう。
あまりの『うんこ事件』にさきほどまであれほど盛り上がっていた場がしらけ切っている。まずい、よしの見直しだということで、六本木のキャバクラ『スマイル』に向かった。
もちろんK君は、そのままでは行けないので、月島に住んでいる後輩の家に着替えに退却した。うんこまみれのバーバリーのセーターは窓から捨てたそうだ。キャバクラでは、『うんこ事件』について話して盛り上がっていた。しばらくすると、K君が登場した。キャバクラ嬢は『うんち君』と呼んで客なのに、引きまくっている。しかもK君はジャージで突入してきた。後輩がジャージしかもっていなかったからだ。K君は178CMくらい、後輩は160CMくらいだ。K君は六本木につんつるてんのジャージで登場したのだった。すねまで見えている。上着の丈も短い、こんな格好で六本木のキャバクラに突入してくるやつはいない。キャバクラのねえちゃんは、客だが、K君のとなりに座るのを避けていた。もう ウンチはついてないのだが、数時間前までうんこまみれだったと思うと、近寄りたくないようだ。結局、K君はそのみそぼらしい、つんつるてんジャージで家に帰り、奥さんには、後輩にゲロ吐かれて、セーターをだめにしてたいへんだったということにしたらしい。
人生で2度目の『うんこ事件』は終った。参考⇒一度目の『うんこ事件』
今日は本当に汚い話題だった。でもご安心ください。これ以上汚い話題は今後ありませんので。。。。。。
2006年05月08日
振り込め詐欺
日本の友人のI君とSKYPEでひさびさに話をした。
先日I君の実家に鉄道警察と名乗る輩から電話があり、お宅の息子さんが、痴漢で逮捕されましたと、本人は泣いていて電話に出れない。国選弁護人が決まったのでそちらに電話してくれと突然連絡が入ったようだ。どうみてもI君は痴漢をしそうな感じなので、母上も信じてしまったようだ。
国選弁護人に電話をすると示談金が500万円必要だとのこと。。。けっこうこの手で騙される人が多いようだ。電話口に泣きじゃくる本人の偽者も登場させる手の混み様だ。でも 偽弁護士が『勤務先にも連絡済みで大丈夫です』と言う時に 6年以上前に退職した会社のU短資の名前を出してどうやら嘘がばれたようだ。しかし、後日、I君は母親から、『痴漢はいけないよ』と叱られたそうだ。よほど信頼がないらしい。しかし、こういうむかつく犯罪が急増しているようだ。
私は、こういう馬鹿者を撃退するために電話を待っているのだが、いっこうにかかってこない。。子供のころ、よくそば屋と電話番号が似ていたので間違い電話がかかった来た。番号が違うというと、叩ききる馬鹿者もいた。むかついたので、ある時、そば屋のふりをして電話に出て、狸うどんとてんぷらそばの注文を受けてやった。ざまあみろ、もう30年以上もたっているが、まだ注文したそばは届いてないだろう!いつまでも待ってろっつうの。そばがのびちゃうよ。それと、 あとで多少罪悪感を感じたが、病院と間違えて電話してくるやつがいた。娘がまだ戻ってこないと、いま診察中ですと言ってやった。でも30年たってもニュースにならないところを見ると、無事帰宅したのだろう。
近所に同級生の酒屋があった『本橋食品』だ。あの長瀬治療院の前にいまでもある。ここの店の親父が『がんこ一徹』と呼ばれていたが、むちゃくちゃだ。いつも、相撲取りの化粧回しのようなものを、腰に巻いて仕事していたが、遊びきた友達でも自分が気に入らないと『とっとと帰れ』と追い返す。機嫌が悪い時に運悪く電話をすると、目の前に息子がいても『いねえよ』と叩ききる。
2人の息子がいるのだが、私は、長男と同級生だ2歳年下の弟がいた。なぜか、その『がんこ一徹』は弟を大切にしていた。大学のころ遊びに行くと、兄貴の部屋には裸電球、壊れかけたラジカセとなんと『巨人の星』でもあるまいし、ちゃぶ台しかなかった。ところが、弟の部屋は、おしゃれな家具や高級なステレオが配備されて、電灯もシャンデリアのようだ。まるで、花形満と星飛雄馬が同居しているようだ。
結局、弟はいまでは、大銀行の立派な、サラリーマンだが、兄貴は田舎町の酒屋の若旦那だ(もう若くないが)。いまでも巨人が優勝すると泣きながら電話してくる。いいやつだ。
その酒屋に遊びにいったとき、たまたま、セールスの電話に『がんこ一徹』が電話に出ていた。どうやら20年ほど前に流行った。英会話の教材の押し売りのようだ。
『もしもし、えっ 息子? 息子はねぇよ いま丁稚奉公(でっちぼうこう)に出しているんだ。(そんな家は今ない)だから、いねえんだよ〜、ねえちゃん。なに英会話? うちの息子は生まれつきペラペラなんだよ(そんな日本人はいない) 外人より英語がうまいんだよね〜〜(実際は アルファベットも知らないはずだ)へへへ 英会話教えてやろうか?おねえちゃんに?』 こんな具合で英会話のセールスを撃退していた。
また、商売はしているといろいろなやつがいるそうだ。昔のコーラの自動販売機はお金を入れるとガラス窓を手で開けて、ビンを引っこ抜くのが定番だった。(写真左)このガラスを開けて、栓だけ抜いて長いストロー刺して中身だけ飲んでいくやつや、公衆電話の受話器だけ引きちぎっていくやつなど、信じられないやつが結構いたらしい。世の中には悪いやつはいっぱいいるものだ。渇!
今回で、創刊100号になりました、今後もばしばし書いて行きます。
後日、I君にブログに載せる写真をくれと頼んだのが、いまどき、デジカメもカメラ付携帯電話も持っていないそうだ。旧石器人だ!ちかんの仕方もあのミラーマン植草のように手鏡で覗いていたのかもしれない。
2006年04月19日
『砂かけばばあ』 と『子泣きじじい』
親父が死んだ時、偶然、千葉の丸○町役場から電話があった。なんだかよくわからないけど、先祖の土地があるらしく、その杭打ちをするので立ち会ってくれと、言われた。その時、親父の葬式で20年ぶりに、再会した兄貴と千葉の丸○町にむかった。とんでもない田舎だ、途中でドコモの圏外になった。役場につくと、土地の境界線の見直しをしているとのこと、聞けば先祖しかも慶応年間 江戸時代に生まれた人間が所有者になっている。70坪ほどの土地らしい。とりあえず町役場の人と一緒に向かった。その土地は、田んぼの奥にありあぜ道を100メートル以上、いったところにあった。恐ろしいことに、人が壊れそうな民家にすんでいる。電気も水道もきていないのに、なんだこりゃ!しかも家の裏には先祖代々の墓(江戸時代のものまである)もある。まるでげげげの鬼太郎の家だ。突然そのあばら家からねずみ男のようなやつが出てきて、『あんたの、ひいおじ
いさんから住んでいていいといわれた』とうわごとのようにいっている。町役場の人から、土地について、兄貴と説明を受けていると、町のあちこちから、人があつまってきて、子孫がやってきたのなんだと、おいおい見せもんじゃねえんだよ。。。
『あんたのおじさんは、この一体の土地を全部もっていたんじゃが。ばくちばかりやっていて全部土地を失って、最後に東京にでていったんじゃ』と いろいろ昔話をしてくる。まるで、『日本昔話』だ いいかげんにしろ〜〜
裏山から、老婆が杖をついて出てきた。。気持ち悪い 砂かけばばあのようだ。結縄とかいう丸○町に多い名前だったな。
『うちのじいさんが、あんたのじっさんがいないうちに、杭を少しづつずらしたんじゃ』『すると、そのたびに、家族から病人がでたり、死人がでたりするんじゃ』『もう わしはいやじゃ、もとにもどしてくれ』 ばかやろう 薄気味悪いな!お前の家族が杭をずらしたんだろうが!!!
兄貴はまじめだ、革靴で裏山にどろだらけになりながら登って、町役場の人と杭の位置を確認しにいった。 まだ初夏とはいえ、暑い。むしむしする。私は、その場で待っていた。すると町人どもがよってきて、また おまえのじいさんが、女好きだったとか、なんとかうるせぇことを言っている。しかし、こきたねぇ格好して、パンクしたようなチャリンコや、さび付いたスーパーカブでどんどん人が集まってくる。いまどきリヤカーをひいてくるやつもいる。ほかにすることねえのか、このいなかっぺ! 兄貴はあいかわらずまじめに、杭を探し
ている。
そのうちに 裏山から、死にそうな子泣きじじいが出てきた。さっきの砂かけばばあの旦那だ、こいつが卑怯なことをしていたんだ。
私に指をさして、ここから出て行けとか、俺の土地だとか たわごとを言っている。町役場の人と兄貴が戻ってきた。町役場の人が説明しても聞き入れない。
だんだん 腹がが立ってきた。なにかが、プツンと切れた!!その瞬間
『この野郎、ふざけんなよ 田舎もの ぶっころすぞ このくそじじぃ!!!おめぇが杭をずらしたんだろ このすっとこどっこい!』
そこらにころがっている でかい石を所かまわず 投げつけた。 肥溜めにも投げ込んだ! 田舎者たちは、あっというまに逃げさった。。。ざまあみろ!兄貴には 『お
い やめろ』と制止されたが、かまわず 投げ続けた。 子泣きじじぃも 砂かけばばあもみんな にげてしまった。すっきりした。先祖の仇だ! そのまま、車にもどった。町役場の人が追いかけてきて、土地の書類だけ渡された。帰り道 兄貴に『おまえも、おやじと同じで、やりすぎなんだよ』と言われた。血は争えないものだ。
近くの司法書士事務所に立ち寄り、聞いてみるとその江戸時代の先祖からの名義変更に15万もかかるらしい。そう言えば、100年以上固定資産税を払っていないが、どうなるのかと聞くと、あまりにも
価値のない土地なので税金はかからないらしい。ばかばかしくて名義変更する気になれなかった。
相続・遺産分割する前に読む本―遺産の分割方法から、家裁や税務署に提出する書類の見本までを収録。
2006年04月17日
新入社員奮闘記
新入社員として銀行に入社(20年以上前の話だが)すると、くだらない1ヶ月研修というのがあった。
1ヶ月間泊り込みで研修だ。自衛隊じゃあるまいし。
毎日 行歌を歌わされて、ラジオ体操までしている。朝から晩まで研修だ。酒も禁止だ。
研修中にジュースを飲んでいて、怒られて、前に立たされて、お前なんか支店に帰れと言われて、帰りたくありませんと泣いていたあほもいた。どうしているだろう。神田君!
とりあえず。威張りまくっている人事部のやつが気に食わなかった。
夜とりあえず。窓から抜け出して。近くの酒屋で酒を調達してきた。そして気の合うやつで飲みまくり。よっぱらって『ちょんちょんちょんがらりんの朝鮮人』『ぶんぶんぶらぶら部落民』とかわけのわからないのりで大声で騒いでいると、人事部の人間に見つかって、立たされた。真夜中に1時間以上も。。。支店長に報告すると脅かされたけど、こんなくだらないことどうやって報告するんだよ このあほ。勝手にしろ〜〜〜
自由研修と言う時間があった。各チームにわかれて、地元を取材して、報告会を行うという企画だった。みんなつまらない企画をしていた。
私は、地元の所沢に行こうといって、取材先を学生時代に地元のソフトボールチームで知り合いだった、共産党の市議会議員(私にも左翼の知り合いはいる)に連絡した。そして銀行がどれだけ大企業と結託して、地元零細企業に圧迫をしてきたかとうことをテーマに取材した。報告会では、地元の商店街が座り込みや銀行に1円預
金をして業務を妨げたことなど。私も1円預金をしたことがあると。などを報告して、おおいにうけた。しかし、人事部の人間に呼び出されて、『いいかげんにしろ』と怒られたのはいうまでもない。しかし、つまらない研修だった。途中で、実地研修ということで、平井支店というところに1日配属された。下町だから元気にいくかと『へい いらっしゃいませ!』と来店客があるたびに 大声で叫んでいたら、すぐに次長に呼ばれて、ここは八百屋ではないから、もっと上品にしてくれと怒られた。どうせ、田舎銀行のくせになにいってんだい。だいたい、ぞうりの裏みたいなくしゃくしゃな顔したおやじが、何が上品にだ、むかついたが だまって静かにした。とにかく堅苦しい会社だった。 関連ブログ→就職戦線異常あり
新入社員のオキテ―入社3年目までの「キャリア」と人間関係
あなたも一流新入社員になろう!
2006年04月13日
就職戦線異常あり
昔(20年以上前だが)は、売り手市場で就職の時は、学生がいい思いができた。でも とりあえず、春ころから真剣勝負だ、私は、金融志望だった。特に証券会社が希望だった、でも おやじは 『株屋』(かぶや)といって嫌っていた。商品先物会社なんぞは『豆屋』(まめや)といって論外だった。人間の勤めるところではないといっていた。 だいたいそのころはやっと 『銀行よさようなら証券よこんにちわ』と やっと証券会社が市民権を得てきたところだ。商品先物会社などエテ公(猿野郎)以下だろう。でもいまでも日本ユ○コ○やら、オ○エ○ト貿易だの『豆屋』に勤めている馬鹿がいるのにはあきれる。たぶんチョンジンか人間のくずだろう。そういう会社に限って、鎌倉の大仏じゃあるまいしパンチパーマや、総カツラや総入れ歯の役員までいるのがあきれる。娘もあほだから浪人までして、会社の経費で大学まで通ってる。まいるぜ。犯罪行為だね。なんとかどっとコムとかいう会社だったな。
それはともかく、そのころの就職のシステムは 大学のOBを訪ねていって、それが第一回面接、その後、さらに上の先輩へ、と6段階くらいで、めでたく採用になる。その時代は携帯電話はないので、ひたすら、夜、次の面接の電話を待つ毎日だ、電話があれば、合格なければ、そこで
失格という簡単な方法だ。
私は、5,6社を面接を受けていた、N村証券もそのひとつだった。ところが、N村証券の人事部からの電話におやじがでてしまった。『うちの息子は、そんな 株屋なんか受けるはずないだろ。馬鹿野郎!このすっとこどっこい』といって電話をたたききった。当然、おしまいである。 とんでもないおやじだ!!!。結局 なんとか銀行から内定をもらい、あまり行きたくなかった銀行に行くことになる。内定をもらった瞬間に拘束が始まる。ほかの企業の面接を受けられなくするためだ。
翌日から毎日 銀行の本店に集合だ、そしてバスに乗せられる。そして、ガイドが今日は那須高原に行きますとか。朝行き先を告げられる。ミステリーツアーのはじまりだ。昼飯からビールもでてやりたい放題だ。1泊2日のこともある。私は学習塾のバイトをしていたの
で、電話をして、早めに休みの連絡をしなければならない。その時代は携帯電話もない。しかし、サービスエリアでは、電話ボックスに人事部の人間が張り付いて電話もできない。でも強引に電話をしようとすると、まず番号を教えて、人事部の人が電話をして、学習塾であることを確認してから話ができた。『すみません。今日、○○銀行に拉致されているんで行けないんですけど』でも 人事部の辛気臭い野郎から、『こら、拘束されているなんて言うな』と怒られた。事実拉致してんじゃねえかよ〜〜その当時、『内定蹴り』(企業が学生に内定を断られること)されると、人事部の人間は減点されるので必死だ。N村証券の内定を断りにわざわざ会社まで行った馬鹿学生が、コーヒーをぶっ掛けられて、クリーニング代といって5000円を投げつけられたという話も聞いたことがある。
そんなことが1ヶ月も続いた。来る日も来る日も飲み会だ。。後で聞いたが、一人あたり、50万〜100万かかるそうだ。預金者が知ったら怒るだろうが。そのころ 10月1日が就職解禁と 馬鹿なマスコミも報道していたが、その日は、遠くの温泉までいっていた。その日に会社の前に並んでいるやつは相当のあほだ。入社できるはずがない。
N村證券の、3Sは有名だった。内定した学生に ステーキ 寿司 ソープランド、いわゆる3Sをご馳走する。10月1日前後は、東大生はハワイで拘束していた。という話も聞いたことがある。
サッポロビールの面接で、面接官が何を聞いても、答えず、最後に『男は、黙ってサッポロビール』といって採用されたとか
(三船敏郎が昔、サッポロビールの宣伝で、最後にいつもこの一言でビシッと決めていた。)
セブンイレブンの面接で、面接会場に入るなり『開いててよかった!?』と叫んで採用されたとか、本当ようなのうその話がいっぱいあった。
関連ブログ⇒新入社員奮闘記
2006年03月31日
応援団との死闘
高校1年のときだったと思う。応援団が、無理やり勧誘にきた。だいたい、人の応援してなにが楽しいんだよ、このあほ!そんなに応援したきゃ自分でやれっつうの。。
子供の時からおやじに先輩ずらするやつは、叩きのめせと教育されていた。仲間と戦うことに決めた。土曜日だったと思う、自宅からは、私は赤樫の木刀を持っていった。ヌンチャクを持ってきているものもいたが、なにか弱そうだ。ブルースリーでもあるまいしそん
なもので戦えると思っているのか!
放課後、勧誘に応じない我々に、20人以上の応援団が襲い掛かってきた。こちらも同数の戦力があったはずだが、空手をたしなんでいるやつが欠席していたということもあり、戦う前から全員退却してしまった。とりあえ
ず一人で戦うことになった私は、まずいと思いながらっも、吉川栄治の『宮本武蔵』の吉岡一門(70名)との一乗寺下り松の戦いの場面を思い浮かべていた。武蔵は一人で数十名の吉岡一門と戦うのに、あぜ道を使って囲まれないように工夫していた。それから敵の大将(子供だったが)を最初に倒した。そうだ、とりあえず、私は校舎に逃げ込んだ廊下を利用すれば、囲まれない。そして木刀を持っていることを悟られないようにして、トイレに逃げ込んだこれでうしろもとられない。しかも 相手は油断してトイレに突入してきた、そして予想通り番長が先頭で、、私はこの好機を見逃さず、相手の顔面に木刀で一撃を食らわした。相手はばったりとトイレに倒れこんだ、その他の、敵は引いた。生きていることを確認して、木刀をふりまわして、その場から立ち去った。とりあえず化学部の活動中の部屋に紛れ込み様子をうかがった。4Fから下をみると 雑魚たちが高校3年に報告してさらに人が集まっている。もう30人はいようか、、、これはもうやばい。しばらくすると救急車も到着した。たぶん 木刀で一撃を食らわしたやつが病院に運ばれていったのだろう。。
私は、とりあえず。理科室の2Fから飛び降りて地下鉄構内に忍び込み帰宅した。
翌月曜日、学校に登校しようとすると校門には応援団が立ち並んでいる。でも私は皆勤賞がかかっているのでなんとしても突破しなければならない。裏口から塀を乗り越え、非常階段で教室に向かった。ところが、教室の前にも応援団がいる、始業開始のベルがなると同時に部屋に潜り込みなんとか、セーフ。。。しかし、やってきた担任教師にすぐに連れて行かれた。これはかえって安全だった。
応援団はいきり立っていたようだが、木刀で殴った先輩に私が謝りにいくことで先生が落とし前をつけてきてくれた。その日の夕方、浦安といういまから30年前は、なにもない猟師町に一人でむかった。前後を注意してむかったが追手はいなかった。
バスに乗り込みその家までいった。どうやら百姓の家らしい、(だいたい百姓なんて昔からまともな人間は一人もいない、全員人間のくずだ)その家に行くと両親が息子の惨状をみてほしいという。こっちだって必死だったんだよ。。しかし寝室で包帯をして寝ている相手を見て、われながらやりすぎたと思った。包帯をとると、顔の半分は紫色 目はウサギより真赤だった。親によると失明寸前だったとまあ しょうがないだろ お前から攻撃してきたのだから、最後 後遺症については責任を撮ると一筆書けと言われたが、未成年にそんな約束できるかと思い、サインせずに帰った。
すぐに先生から親を呼んで来いと言われた、親父にいうと『よくやった』とほめられた。
先生は『我が校は、暴力はいかなる場合も否定していおります。』
親父は『うちでは、いつも 先輩面するやつは、徹底的ぶちかませとと教育してるから、毎日木刀でけんかの仕方をおしえている』
そこまで教育をされた覚えはない。。
『だいたい、応援団なんて馬鹿な集団をはびこらせてるのはどういうことだ!』
と 怒鳴り始めた。。。
『あんたたちが やらないから、うちの息子が成敗したんだよ』
先生は下を向いている。『だいたい、そんなことだから、10年前(兄貴の時代のことか)より
学校のレベルが低下してるんだよ。創立者の大隈重信に申し訳ないだろう。』
しかられに来たのにしかってる。明らかにへんだ!!だいたい10年前のレベルだったら俺は入学できないだろうに。。。
結局 呼び出されたのに、めちゃくちゃに怒って帰ってきた。
しかし、会議室の外には、友達が何人かでこちらを覗いていた。先生は背中でわからない。でも
塀によじ登って『Vサイン』(なぜかテレビに映ったりすると日本人がするポーズ)!それも何回も。
帰りに親父が『あつら誰だ、馬鹿な野郎だ。ちゃらちゃらしやがって、明日行ったら、ぶん殴っとけ』と言われた。一応仲間なのだが、それから、しばらく護身用ということで、ゴルフの5番アイアン(なぜ5番だかわからないが)を持たされて、学校に通学した。電車では、この高校生はその時として珍しい、ゴルフ部なんだと見られていたと思うが、、、
上級生も、用意に手は出してこなかった。でもそれからしばらくして、応援団は解散させられた。目的は達成した。
しかし、応援団には並木とか、大木とか、左右対称の名前のやつがいっぱいいたな。この野郎!日本人じゃねえな!朝鮮半島の野郎だ!
でも こんなことで、上級生が黙って引くはずがなかった。 『球技大会乱闘事件』に発展していく。。。。
とにかく昔の学生生活は通学ばかりではなく、学校内にも危険がいっぱいだった。
参考ブログ
キリスト教式幼稚園と特攻隊 我が家の38度線
国士舘VS朝鮮高校
宮本武蔵 全8冊 吉川英治歴史時代文庫
これで あなたもけんかに百戦百勝!!!
お知らせ、シンガポール奮闘記は4月から
シンガポール奮闘記(香港マイタン日記)にブログ名を変更します。
2006年03月30日
臨海学校 奮闘記
シンガポール奮闘記のはずなのに、最近日経新聞の『私の履歴書』みたいに昔話ばかりだ。今回もまた。昔話だ、すんません。毎年夏になると、学校で1週間の予定で、林間学校と臨海学校が計画された。中学1年は、どちらかに参加しなくてはならない。 9割くらいは、林間学校だ。私は、ちなみに、高校2年まで毎年、臨海学校に参加した。遠泳は下田の鍋田海岸で行い、宿舎は下田海浜ホテルだ
いまは、改装されて、かなりいいホテルになっているようだ。
臨海学校は海ということで、危険が伴うので体育教師しかも鬼教師ばかりが担当する。午前午後と2回 2時間ほどの遠泳をする。泳げない者も最後には、遠泳できるようになる。というか 強制的にスパルタ水泳教室だ。(戸塚ヨットスクールのようなものだ)⇒たしか知恵遅れの生徒をしごいた事件 校長はハゲチョビンだった記憶がある。
最初の2,3日は夜の見回りも厳しいが、だんだん 先生も部屋で酒を飲んで警戒が甘くなる。昼間ビーチで 親しくなったOLまで 連れ込んでご乱交のようだ。。
ある時、遠泳中の鍋田海岸で日活ロマンポルノの撮影が始まった。遠泳は途中で切り上げられ、生徒はホテルに退避である。
でも、先生は一人も帰ってこなかった。たしか『8月の濡れた砂』という題名だったと思う。
そのホテルには当時、大浴場はひとつしかなかった。そこで入浴していると、女性が一人入ってきた。そんなに若くなかったが、とにかく女性だ! みんなを呼びに行った。全員で80名くらいだったが、ほぼ全員が大浴場に集結!更衣室はすし詰めだ。その女性は平気で長い髪の毛を洗ったりしている。みんな風呂に飛び込んだり、動物園のサル山状態である。しまいには、先生が突入してきて、 『こら???』一件落着だった。しかし、全裸の女性に向って 謝っている先生には笑えた。
また窓から ロケット花火を発射したり爆竹を投げたり。やりたい放題だ、旅館の従業員が飛んで来たが、知らないととぼけた。しかし、火薬のあとが、クーラーにべっとりついている。
高校のときは、夜抜け出して、伊豆下田の町に数人で繰り出した。
『日の丸』というキャバレーに突入した。スケスケのランジェリーのお姉さんだかおばさんだか、忘れたが隣に座ってきた、高校生であることを隠して、ウイスキーをがぶ飲みだ。。おさわりをしたかどうかは、記憶にはないが、たぶんしたのだろう。それが、風俗店デビューだった。店をあとにして、今度はストリップ小屋に突入した。こちらもそんなに若くない女性が、次々と素っ裸になっていった。そのうち、一人の女性が、パンティの紐をほどいてくれと 仲間が指名された。そいつは、緊張のあまり、ステージの手前でコケタ、そして頭からストリップ嬢に激突だ。そして手が震えて、うまくほどけない。客に失笑されながら、やっとの思いで黒のパンティを脱がしていた。 そいつは卒業まで『黒パン党』と呼ばれていた。
そうして深夜こっそりと旅館に戻った。しかし 一人が余りに興奮してウイスキーを飲みすぎたようだ。部屋にもどると、暴れ始めて、部屋にあった刺身を所かまわず投げまくって、仰向けに倒れて、すぐにゲロを噴射しはじめた。火山のようだ。しかも多量だ。畳はゲロの湖だ。みんなこのまま死ぬんじゃないかと心配した。でも先生は呼べない。(当たり前だ) そうだ、臨海学校には、OBの大学生が手伝いのために2人同行する。その先輩の部屋に行き事情を説明した。すぐ来てくれた、水を多量に飲ませておけば、死なないよと言われて。とりあえず安心した。
翌日起床すると、障子や壁にマグロがからからになって張り付いている。コップのコーラの中にもマグロが入っていた。表面が解けていた。コーラは身体に悪いのではと思った。
ゲロの始末をして寝たのは明け方だった。翌日の遠泳はキツかった。ゲロの張本人は病欠していた。(二日酔いだろうが!)
こんな 楽しい(?!) 臨海学校だった。
こんなものは、さすがに持ってはいなかった。
悪酔い・二日酔いサヨナラ!コンパくん
お知らせ、シンガポール奮闘記は4月から
シンガポール奮闘記(香港マイタン日記)にブログ名を変更します。
2006年03月29日
『マドンナヘアヌード』事件& 松坂慶子動画
世の中は叶美香 ヘアヌード写真集で盛り上っている。いまでは、猫も杓子もヘアヌード 中には、見たくねぇ50歳すぎのババアまで脱いでいる。
松坂慶子のヘアヌードはよかったが、もっと若いうちに脱いでほしかった。いまから、20年前は、そうはいかなかった。
日本ではじめて、ヘアヌード写真集が発売されるしかも マドンナの!?ということで、マスコミの間でも騒がれた。 私はお客様に配布するために30冊大量購入しようとした。でも1冊1万円である。会社には、『○○の教本』ということで申請した。
中央通りの丸善に電話で予約を入れた。発売前日になると、ご丁寧に丸善から電話がかかって来た。 『明日は何時にいらっしゃいますか?』待たせたくないので、できれば、開店直後の10時に来てほしいとのこと、ずいぶん親切な本屋だ
翌日 同僚3人で10時少し前に、出掛けた。開店と同時に、突入だ。店の入口付近にに配布用のテーブルが用意されていた、私は、本を受け取ろうとした、その時、フラッシュとテレビ撮影用のライトが点灯された。
いきなり レポーターが『なんで そんなにまとめ買いしているのですか?』とインタビューしてきた。ちょっと動揺したが、『会社の上司に命令されて買いに来ました。』『そんなにたくさん??』 『はい、社員がいっぱいいるので』とわけのわからない返答をしていた。店を出ると、若い兄ちゃんが走ってきて、『テレビ朝日です。取材ご協力ありがとうございました。』といって、テレビ朝日のロゴ入りのボールペンを2本くれた。せこいんだよマスコミは!!!
まてよ、丸善とテレビ朝日 組んだな!!やらせだろこれじゃ
会社にもどって何食わぬ顔をして働いていると、お昼に食堂から同僚が走ってくる。『テレビのニュースで放映されてますよ』 まずいこの時間は 会社の役員が全員で、食事しているはずだ。。。
午後すぐに、役員室に呼ばれた、
『なんだ、教則本じゃなかったんだね』『すみません』 『いいんだよ 営業で使うんだろ、、』 『はい』『今度から正直に言ってくれよな。ところで、1冊見せてくれいないか?』
なんだ この変態おやじ 自分が見たいんじゃないか!!
早速1冊持っていってやった。でも それっきり返却されなかった。このエロじじぃ〜〜〜
結局、お昼のニュース 午後のワイドショー 夕方のニュース そして久米宏の『ニュースステーション』でも放映されたようだ。
久米宏は『馬鹿な サラリーマンがいるもんですね』とペンを持ちながら、あきれた顔でコメントしていたらしい。 この野郎!!調子にのるな。ちんげみたいな髪の毛しやがって。。
でもそれから、しばらく、六本木や銀座のキャバクラや、新宿の『ノーパンしゃぶしゃぶ』
で 評判になった。
どこへ行っても 『見たわよ〜〜すごい(なにがすごいんだよ あほ)みせてみせて写真集!!!』とホステスが集まってきた。 しばらく 飲みに行く時は小脇にマドンナの写真集を持って行った。
テレビは怖い、、、
さくら伝説―松坂慶子写真集
Sweet Goddess―叶美香写真集











