香港登山記
2007年02月18日
香港登山 マクリホーストレイル ステージ2
ステージ2 浪茄−北潭凹 難易度2 13.5キロ 5時間
雨の中のんびりステージ1を歩いていたが、よく考えると、このままだとステージ2の終了時間が5時45分になってしまう。大日本愛国党のS氏が『まずいな、夜になるな、照明弾を持ってくればよかった』とつぶやいた。ここで、コースを外れることはできないので、ペースをあげて行軍することにした。
ステージ2は、いきなり石段の坂道だ。浪茄灣までイッキに降りる。
ここからは、単純なステージ1と違って若干面白いコースになる。
いきなり道は突き当たる。その先は教会なのだが、ただの教会ではなく、麻薬中毒患者の療養施設だ。大日本愛国党のS氏は、以前負傷したときモルヒネを投与されたことはあるらしいが、まだ中毒症状は出ていないということで、右折して先を急いだ。
ここからは、標高314メートルの西灣山に向けて1.5キロほどの登りの石段が続く、一つ目の見晴台兼休憩所まで一直線の登りだ。標距離柱M023の先に見晴台があるのだが、標距離柱は破損していた。
目前に西灣山が聳え立っていた。キツメの石段が続く、背後には浪茄灣が小さく見えた。
絶景ポイントに到着したが、10人のちゃんころに占領されていて撮影ができなかった。
標距離柱M024の先は、岩の急坂だ。すべらないように慎重に登った。
標距離柱M025に休憩所があったので5分ほど休憩した。いつもの行軍だとほとんど休憩しないのだが、厳しい軍事教練から遠ざかっていた影響か、今日は休憩が多い。。。
ちょいと先には西灣山の頂上があった。
次の攻略目標は西灣だ。かなり急な下りの石段だ。遠くに西灣が見える。
赤土のような土質の道が延々と続く、しかも断続的な上り下りの連続だ。
標距離柱M029をさきで、T字路にぶつかる。ここは、西灣方面に進軍だ。しかし、遠くに見える西灣はなかなか近づいてこない。。コンクリートの下りで途中、中途半端な角度が、膝にくる。意外に辛い舗装路だ。
坂を降りきると右手に大きな沼が続く、流れがないのでゴミがたくさん浮遊していて汚い。
西灣村に突入だ。ここには、3,4件ほど売店がある。ここで豆腐花も食べられるようだ。水などを購入することもできる。
西灣は夏は海水浴場なので、ここにある店は海の家としても機能しているようだ。海に一番近い店は『海湾茶座』レストラン&バーと書いてあるが、ただの掘っ立て小屋だ。
S氏と西灣の海岸に出てみることにした。沖にはひょっこりひょうたん島のような島が二つ浮かんでいる。左が大洲 右が尖洲だ。しかし、ひょっこりひょうたん島を知っている人はかなりの年配者だろう。
S氏は海に向かって『ばかやろ〜!大日本帝国バンザイ!!』と叫んだ。そして夕日に向かって走っていった。まるで、森田健作のようだった。
時間をみるとそろそろ15時だ。先を急がなくては日暮れまでにゴールできないということで出発した。
後ろからあの、キモい スパッツ軍団が近寄ってきたので、足早に行軍した。
西灣が干潮だったので、本来の道から少し外れて、海岸の砂浜を歩行しショートカットして、再びトレイルのコースにもどった。
石段を上がりながら振り返ると、西灣の全景を見下ろすことができる。
標距離柱M033の先に、右側に危険マークの登場だ。その先端はS氏が命名した『バンザイクリフ』だ。大日本愛国党のS氏は『敵兵に追い詰められたら、ここから、潔く飛び降りるんじゃ〜〜〜』と吠えた。しかし、滑り落ちたら間違いなく即死だ。
標距離柱M035の先からは最近整備されたような石段の下りがはじまる。鹹田灣(HAM TIN WAN)にむけてイッキに下る。最高の眺めだ。下りのため膝に負担のかかる道だ。
鹹田灣の砂浜に到着した。砂浜の左に進むのが本来のルートなのだが、S氏は面白いところがあるから直進しようと、砂浜を歩いた。
しばらくすると、海に流れ込む川にちんけな橋がかかっていた。いまにも崩れ落ちそうだった。以前は手すりがあったらしいが、それもない。
あまり平均台は得意ではないが、おそるおそる通過した。これも軍事教練の一環だ。落下しても死にはしない。
渡りきるとその先には『海風士多』という売店(夏は海の家)があった。食事のほか酒も飲める。。。
休憩がてらビールで乾杯しませんか?とS氏に言うと、『軍事教練中にアルコールはいかん!!!』と叱られてしまった。
この店の中を通過するとき、店にはイノシシを捕まえた時の写真やこの鹹田灣にクジラが打ち上げられた時の写真が貼ってあった。
店の裏には番犬のような犬が4頭ほどいて、我々が進軍すると、ガンガン吠えてきた。S氏は『うるせえな〜 犬畜生!』と三八式歩兵銃を構えた。すると犬はビビッて吠えるのをやめた。
次の目標は以前シャークピーク登山のときに ステージ2を逆走したときの分岐点の大浪坳だ。
舗装された断続的な坂道が続く、1キロくらい続く、このころになるとかなり足腰に疲れが出ていてきつい。。
標距離柱M039の先のシャークピークとステージ2の分岐点の大浪坳(写真左)でしばし休憩だ。
ここからは1キロほど、、赤徑に向けての下りだ。
標距離柱M043から先では、廃墟のような集落を通り抜ける。人の気配はない不気味な村だ。。。
標距離柱M044からは再び、ゴールまで2キロ断続的な登り坂だ。まだかまだかと坂道は続く。。。
標距離柱M048を越えてしばらくすると、今日の最終目的地 北潭凹 に到着だ。比較的綺麗なトイレも完備ある。
本日の軍事教練は、総距離24キロ 時間は7時間 万歩計は4万歩を記録していた。
ここで着替えをして、車道を左折しバス停(路線バス・ミニバス)にむかった。
バス停で待つこと5分、西貢行きミニバスが来た! 先に待っていた香港人のババアがいたが、携帯電話をいじっていてもたもたしていたので、S氏と先にミニバスに飛び乗った。。。
ミニバスの定員は16名だが、2名しかスペースがなく、そのババアは取り残された。なんだか文句をいっていたが、お前ら普段から割り込みばかりしている民族だ。ざまあみろ!!!!!
西貢までは、10HKドルだった。運転手は飛ばす飛ばす、70キロ〜80キロで疾走した。15分ほどで到着した。時間は17時30分を経過していた。
2007年02月17日
香港登山 マクリホース ステージ1
今年も本格的な軍事教練に大日本愛国党のS氏と突入することになった。
九龍サイドにあるマクリホーストレイルのステージ1・2がまだ攻略していなかった。
マクリホーストレイルとは!
第25代香港総督マレー・マクリホース卿(1971年11月〜1982年4月)の名前がつけられた九龍サイドにあるコースだ。
北潭涌を起点にして、終点の屯門までの全長100キロのトレイルコースには10個のステージがある。
香港トレイル、ウィルソントレイル、ランタオトレイルと並び、香港4代トレイルのうちのひとつだ。
ほかのトレイルとちょっと違うところは、このトレイルは毎年11月に『100キロトレイルウォーカー』が開催されるのだ。これは、4人一組で参加し、48時間以内にコースを完走するという大会だ。完走したチームには賞状と寄付金を払う権利を獲得できるというへんな大会だ。
寄付金は約1千5百万HKドル(約2億2千万)ほどあつまり、3分の一はネパールへ、3分の一は、香港の障害者のため、残りは、アジア・アフリカの飲料水浄化施設建設のために寄付されるそうだ。
1986年から開催されているこの大会は最近では、900チーム以上、3500人以上の参加者で賑わう。チームの50%くらいが完走するらしい。13時間で完走したチームもある。
大日本愛国党のS氏も完走したことがある。さすが、気合が違う。
そして、このマクリホースのステージ5(標距離柱M095〜M0107)の間は、戦地遺跡(War Relics)になっていて、第二次世界大戦中の遺跡が17箇所点在している。S氏の一番好きなポイントだ!
ステージ1 北潭涌−浪茄 難易度1 10.6キロ 3時間
ステージ2 浪茄−北潭凹 難易度2 13.5キロ 5時間
難易度的にはそう難しいコースではないように見えるが、総距離24キロ8時間の長丁場だ。
いつものMTR『炮台山』に8時に集合することになっていたが、あいにくの雨で、1時間様子見で集合時間を遅らせた。天気予報でも週末は雨と言われていた。
S氏は『雨でも戦争は遂行せんといかん!』
雨がっぱ、折りたたみ傘、ウィンドブレーカーなど雨具の準備をして集合と雨天決行の決断をした。
MTR『炮台山』から港島線で柴灣方面に一駅乗車し、『北角』駅で将軍澳線に乗車し寳琳方面に2駅 『油塘』駅で、觀塘線で油麻地方面に5駅『彩虹』に到着だ。料金はオクトパスカードで10HKドル(通常で11HKドル)だ。
MTR『彩虹』のB出口を出て、『西貢』行きの表示がある緑色のミニバスに乗車して西貢に向かった。オクトパスカードで7.5HKドルだ。
西貢でミニバスを下車したら右側にタクシー乗り場があるので、ここでも緑色のタクシーに飛び乗ろう。『北潭涌』と書いた紙を見せよう。
15分ほどで、マクリホーストレイル ステージ1のスタート地点に到着だ。料金は51HKドル(初乗りは12.5HKドル)だ。10時10分進軍開始だ。
このマクリホースの始点から、しばらく車道のなだらかな坂道を登る。
500メートル進むと記念すべき1番目の標距離柱の登場だ!
1キロほどで、人工湖の萬宜水庫に到着だ。ここは、右手に進む。香港のハイキングコースでよく見かける『今日の山火事情報』の掲示板が目印だ。今日は雨なので山火事発生率は低い。
ここからも、ひたすらなだらかな車道を歩くことになる。ときどきタクシーや作業用の車が通るだけだ。左手に時々、萬宜水庫が見える。
標距離柱M005あたりから、雨足が強くなってきた。傘を出しての行軍だ。小さなダムのような所に出た。左手の萬宜水庫の水が透き通っていて綺麗だ。 なにも遮るものがないダムの上の道は強風で傘をさすのが困難だった。
ダムを渡りきると左手に円筒形の巨大な建造物が、大日本愛国党のS氏は軍事施設ではないかと、警戒していた。
標距離柱M007の先には、先ほどより大きなダムが出現した。紀念碑(石碑)によると1978年11月27日に完成した西壩(West Dam)だ。
右下には創興水上活動中心というせき止められた小さな湖のような場所があり、この雨のなか、ウィンドサーフィンなどをしている人がたくさんいた。その先は海だ。
左手には、萬宜水庫のX取水塔がある。なんだか狭山湖みたいだ。狭山湖の周辺には某新聞社のT編集長がノンちゃんと通ったラブホテル街があるのだが、確かのそのラブホテル街の入口には『気をつけよう暗い夜道と甘い言葉』というデカイ看板があった。ラブホテル街にその看板はいただけないと思った。しかし、萬宜水庫の付近にはラブホテル街は残念ながらない。。
標距離柱M009からは、なだらかな坂の車道だ。時々左手に萬宜水庫が見えるが、このところ降水量が少なかったためか、水位はかなり低い。
うしろから2名の男性が我々を抜いていった。どうやら日本人と香港人のペアだ。日本人のおやじはがスパッツをはいて、登山杖を2本持って、お尻をプリプリさせながら競歩のように歩いている。大日本愛国党のS氏は『男のくせに気持ち悪いな、、、ピチピチのスパッツなんかはきやがって!ウルトラマンじゃねえんだぞ!ホモかおまえらは!』と吠えた。
標距離柱M013を過ぎると、左手遠くに 東壩(East Dam)がかすかに見える。左写真の真ん中に見える平らなところがダムだ。
標距離柱M014の先の右手には、西貢の東岸で綺麗な海岸といわれる白臘灣が木陰から見える。灣の右手には標高156メートルの白虎山も聳え立っている。
標距離柱M015の先の景色のいいところで昼食&休憩にした。雨はあがっていた。。ここからは、白腊仔が綺麗に見えた。
気温が低くおそらくは13度前後、休憩していると身体が冷えてきたので、先を急ぐことにした。しかし、単調な舗装路だ。いいかげん飽きてきた。ステージ1は距離は長いが、景色はまあまあなのはともかくとして、あまり面白いトレイルではない。
標距離柱M017をすぎると、H型のテトラポットの紀念碑(石碑)が出現だ。
これは、萬宜水庫のダム工事で亡くなった4名の慰霊碑でもある。
もともと、慢性的な水不足に悩まされた香港が、1979年、西貢最大の島だった糧船灣を東西二つの巨大なダムで囲って貯水池をつくった。世界初の試みで、香港最大の貯水量だ。それが、萬宜水庫なのだ。
特に東壩(East Dam)は大海を目前にしているため、ダム壁は7000個のテトラポットからできている。H型テトラポットは一個25トンある、中央のアームを直角に曲げて、お互い交差させることで、海からの並の衝撃を緩和してダムを守っている。
テトラポットというと、どうしてもシンガポールにいたN君、いまはHIV感染のため日本に強制送還され、某東京○ーレックスに勤務中のN谷君を思い出す。彼の下半身は野獣のようで、どこでもHしてしまうのが特技だった。特に、鎌倉の海に女性を毎週誘い出し、ホテル代節約のために、海岸のテトラポットでずっぽししていた。またそれを自慢していた。ということで、『テトラポットN谷』と呼ばれていた。。ここなら7000個もテトラポットがあるのでやりがいがあっただろうに、、、
それはともかく、ダムを歩行すると 中央に標距離柱M018がある、右手には、船でしか行けない、波邊洲という断崖絶壁の島が見える。
岩石を積み上げられてつくられたようなダムを歩きると、さっきのスパッツおやじ軍団が座っていた。スパッツが破れて歩けなくなったのかと心配したが、どうやら昼食を食べているようだった。
左手に進むと、長いなだらかな石段がはじまる。左側の岩は所々崩れている。落石注意の看板が出ている。
しばらく登ると、背後には萬宜水庫が綺麗に見下ろせる。
ちょうど、その時、携帯電話が鳴り始めた。日本の友人(仙台のプレーボーイK先生)が、香港マイタン日記を読んで、ちょっと聞きたいことがあるから電話したとのこと、軍事教練中だったので、あとにしてもらった。
大日本愛国党のS氏は『軍令部からの無電か?』と聞かれた友人からだというと『訓練中にとんでもないな』と吠えた。こんど運転モードではなく、軍事訓練モード『ただいま、軍事教練中で電話に出ることができません』というのをNTTドコモに作ってもらわねばと思った。
標距離柱M020を過ぎると、右側に浪茄灣(写真上)のきれいな海岸線が見えてくる。
その後、道標が突然出てきて、ステージ1は終了だ。普通、ステージの切れ目は車道があるのだが、ここは珍しく山の中だ。ここで、疲れたからといってリタイアすることはできない。12時45分だった。ステージ1は2時間半で攻略することができた。
続く、、、、
2007年01月26日
香港 登山 『釣魚翁郊遊徑』 (High Junk Peak Country Trail)
大日本愛国党のS氏と『新春!軍事教練』に出かけることになった。今年初めての軍事登山だ。S氏は私が軟弱にニュージーランドを旅行している最中に、単独でちゃんころ退治に山に入り、英国軍狙撃兵の攻撃を受け、膝を負傷していた。
とうことで、S氏の膝の具合を鑑み、3、4時間の軽い軍事教練にすることにした。
コースは『釣魚翁郊遊徑』五塊田〜大廟 6.6キロメートル 3時間 だ。
九龍サイドに24コースもある郊遊路徑(Country Trails)のひとつだ。ゴルフでいうとショートコースのような感じだ。短いもので400メートルから最長6.7キロとバラエティにとんでいる。
今回のコースは、距離も時間もたいしたことはないということで、10時30分にいつものMTR『炮台山』で待ち合わせをした。
某新聞社 T編集長からの贈り物の軍帽をかぶり、10時すぎにタクシーでMTR『炮台山』にむかった。気がつくといつもと違う道を走行している。どうみてもおかしな方向だ。年老いた運転手に紙に書いた行き先を見せると、『アイヤ〜〜〜』とあわてている。どうやら勘違いしたらしい。朝からむかつく!しかもS氏との集合時間に遅刻しそうだ。ひさしぶりにプッツンした。運転手のシートをガンガン蹴って『ばかやろ〜〜〜〜』と日本語で叫んだ!
軍帽の威力もあってそうとう焦っていた。右折禁止の道を右折して、MTR『炮台山』に向けて、疾走した。かなりのスピード違反だ。乗車していて怖くなるほどだった。
目的地のMTR『炮台山』に近づくと、中央の車線から急に歩道寄りの車線にハンドルを切った。左側にはタクシーが、、、、、、、、、次の瞬間、、衝撃が、衝突だ。相手のタクシーのフェンダーミラーが飛んだ!!
急ブレーキで止まると、相手タクシーの若い運ちゃんは、飛び出してどなりまくっている。こちらの年老いたドライバーも自分が悪いのを棚に上げて怒鳴り返している。
おいおい、客の俺はどうなるんだ!!!!!!
料金を見ると55HKドル いつもなら25HKドルくらいだ。むかついたので、そのまま、とんずらしてS氏のと待ち合わせ場所に向かった。ということで、料金はタダだった。 ざまあみろ〜〜ちゃんころドライバー!!
新春早々、10分も遅刻してしまった。しかし、私の軍帽にS氏は感動して快く許してもらった。
S氏に新春の敬礼をしてMTRに乗車した。今年もちゃんころ退治の軍事教練の始まりだ!
MTR 『北角』で将軍澳線に乗車して、5駅目の『坑口』で下車した。料金は7.9HKドル、時間にして14分ほどだ。
なんだか駅名が『抗日』に見えてきた。むかつく駅名だ。S氏から、中国軍がひそんでいるかもしれないから気をつけろといわれた。
出口B2『公共運輸交匯處』を出て、左折だ。一つ目の信号を右折(横断)する。左手に『明徳邨』というマンションを見ながら直進し150メートルほど進むと大通りにぶつかるのでそこを左折だ。
ロータリーにぶつかるまでしばらく歩道を歩く。。ロータリーに到着したら、右側に横断してすぐに左に横断し、直進する。標識で言えば、清水灣・西貢方面に進む。
そして、ちょっとわかりにくいが、200メートルくらい進んだところで細い道を右折する。右折してすぐのところに、『坑口區郷事委員會』というアーチ型の門のようなものが目印だ。
そのアーチ型の門をくぐり左方向に進むと階段があるここを登り切ると、車道にでる。これが清水灣道だ。ここを右折してゆるやかな坂になっている車道をしばらく進もう。1キロほど歩くと、右手に『五塊田』というバス停が出てくる。
ここから今日のコース『釣魚翁郊遊徑』の始まりだ。
いつもの有名なコースと違って若干マイナーなコースなので、標識に従い迷わないように突撃した。
基本的に『大廟』方面の矢印に向けて侵攻すればいい。清水湾半島をほぼ上から下まで歩くコースだ。
しばらくすると、急な石段が我々を迎えてくれた。10分ほど坂を上ると、景色が開けてくる。
今日は尾根のような道を最後まで歩くことので、両側に景色が見えて気持ちいいコースなのだ。
今日のコースある標距離柱は、いかにも楽そうなハイキングのようなマークだ。しかし、それほど楽ではない。。。ということはあとで判明する。
見晴らしのいいなだらかなコースをしばらく歩くことになる。
ここはハイキングコースにマウンテンバイクコースが併設されている。このような標識がたくさんあるが、我々は『Country Trail』を選んで歩行する。
さらに見晴らしの良い道にでる。右方向はMTR『将軍澳』付近のマンション(写真左)が見える。
左方向には牛尾海に浮かぶ 牛尾洲(写真左)という小さな島も見える。すこしガスっているのが残念だ。
標距離柱C3102を過ぎると、はるか彼方に今日の最大の難関 標高344メートルの釣魚翁(写真右上)が、尖って聳え立つ姿が見える。
『え〜〜〜 あんな険しい山を登るなんて!!』とつぶやくと、S氏は『ただの山登りではない軍事教練なんだ!』と叫んだ。
昨年末に登山したシャークピークを彷彿とさせる山だ。。
標距離柱3103を過ぎると、二股に道が分かれる左側には、危険だから登山するなとの標識が出ていた。やむなく、我々は右手の道を進んだ。
右手には将軍澳工業邨(写真左)が見下ろせる。しばらく平坦な道を歩くと、眼前に釣魚翁が突然現れた。
標距離柱C3105を過ぎると、左手の斜面に大きな墓が見えてくる。そうしたら、釣魚翁に向けて、左に登っていかなければいけない。本来の『釣魚翁郊遊徑』は直進するのだが、S氏が『そんなアマちゃんコースでは、軍事教練にならん!釣魚翁に向け突撃!!!』と細い道を駆け上がっていった。
なんとか、釣魚翁 攻略のための手前の尾根に出ることが出来た。
ここからの眺めもいい。左手には『MIU TSAI TUN』(写真左)が見える。先ほどこの山の手前で危険だからということで侵入禁止の立て札が立っていたのだが、ようはここから、釣魚翁の山頂の登山が危険だから、立てられていた立て札のようだ。
左手にはのんきにグライダーを飛ばしているやつらがいた。(動画参照)
一息ついたあと、釣魚翁に突撃だ。 いきなり険しい岩の道だ。滑りやすいので気をつけよう。
その先の急坂を登ると左側は絶壁だ。あまり下の見ないようにしよう。目が回りそうだ。
そして、ようやく頂上に到着だ。山頂は、シャークピークより狭い。標高もシャークピークよりは低いのか、登ってしまえばそんなにたいへんな山ではなかった。
ここで、1時になっていたので昼食休憩をとることにした。
頂上はせまいので、少し先の岩場に場所を確保した。しかし、両側は断崖絶壁だ。風がある日は長くはいられないだろう。
岩場の眼前には清水灣が見える。とても綺麗な湾で、灣の底まで透き通って見える。香港にこんな綺麗な海があったのかと感心させられた。
大日本愛国党のS氏はなぜか、清水灣が大好きだ。家の神棚の横にも清水湾のパノラマ写真が飾られている。。
昼食後、頂上でパノラマの動画を撮影した。
S氏と下山を開始しようとすると、後から登ってきた軽装のちゃんころ6人組がやってきた。どうみても登山初心者だ。先に行かすことにしたが、いくら待っても進まない。へっぴり腰で岩に這いつくばっているのだ。
S氏は、待ちきれず『突撃!!!!!』と下山を開始した。途中でちゃんころ6人組を追い越したが、1名は手が震えたまま岩にしがみついて泣きそうになっていた。1名いた女性をサポートしているはずのデブ男は自分が転げ落ちそうで、それどころではないようだ。
我々はその難所を下山したあと、見上げるとまだ中腹で身動きが出来なくなっていた。まあ、ちゃんころだからいいだろうということで、無視して先にすすんだ。
その先に、道標のところのベンチでしばし休憩だ。けしきもまあまあだ。
その後、平坦な尾根をしばらく歩行することになる。左手には清水灣が近くに見え本当に綺麗だった。
標距離柱C3107〜3109までは、断続的に下り坂だ、石段は膝にしんどい。。
標距離柱3109 からは標高273メートルの田下山に向けて長い石段がはじまる。500メートルほど続く坂道はけっこうきつい。
この坂を登り切ると、開けた草原のようなところに出る。
景色のいい場所で休憩することにした。眼前には大廟灣が夕日に照らされて綺麗に見えた。カストロ台地のように尖った岩がごつごつとあちこちにあった。
10分間ほどの休憩でまた行軍開始だ。
進行方向の下界には、清水灣郷村倶楽部というゴルフコースが見えた。S氏は自然保護派なので、けしからんなこんなところにゴルフコースを建設してはと怒り心頭だった。
今日の最終目的地 大廟に向けて意外に急で長い石段を下った。
コースを外れて、釣魚翁を攻略したが、11時に出発して15時に、約4時間の今年初めての軍事教練は終了した。
ここで、新年の初詣をして、無病息災、大日本帝国の繁栄を祈願した。
綺麗な海岸で着替えをして、帰還するためにバス停のある『布袋澳』に向かった。
先ほど下山したところ場所を左手に進みT字路を右折して700メートルほどなだらかな下り坂の車道を進むと『布袋澳』の小さな漁村にミニバスのバス停がある。
途中振り返ると、聳え立つ『釣魚翁』が見えた。あんなところに登ったんだなと我ながら感心した。
運よくMTR『寶琳』行きのミニバスが停車していた。料金は7HKドルだった。『寶琳』は朝下車した『坑口』の1駅先にある将軍澳線の終点だ。時間にして約30分だ。
途中MTR『坑口』駅にも停車したが、終点までいってみることにした。そして新年会を二人で開催することにした。
2007年01月03日
香港登山 シャークピーク登頂!!
攻撃目標の、香港の槍ヶ岳 シャークピークに向けて、突撃を開始した。しばらくは平坦なステージ2を逆走することになる。
すぐに標距柱M48がある。平坦な舗装路を直進する。
左手には時々、今日の最終目的地の黄石碼頭も見える。
標距柱M44の先に、わかりにくいT字路の道があるここは左折して、海岸沿いの道に進もう。
左手に赤徑口の入り江をしばらく走行する。
その後、大浪坳へ向けて、山道に侵入する。道は綺麗に舗装されているが、結構、長い登りなので足腰に疲れがくる。。
標距離M40の先で、道標に出くわす。初心者は危険なので侵入しないようにとの説明があった。ステージ2はこの先は直進するのだが、我々の今日の攻撃目標 シャークピークへは、ここから左手の急な斜面を登ることになる。
坂を上ると、すぐにシャークピークが見えた。あの尖がった山頂まで登るのかと思うとぞっとした。
右手には綺麗に大浪灣が広がる。
行く手に、牛の登場だ。糞はたくさん目撃したが、牛を見るのは今日初めてだ。S氏は『今日の晩飯のステーキにするか!』と三八式歩兵銃を構えた。しかし持ち帰るにはちょぃと重すぎる。
しばらく進むと、ここにも、シャークピークは険しい山だとの警告板が出ていた。
S氏に私はまだ登山初心者なのではと言うと『渇!我が大日本帝国男子は根性で登るんじゃ!』 と吠えた。
しばらく平坦な道を歩くと、シャークピークの全景が目の前に現れた。
遠くから見るとそれほど傾斜がないが、実際登り始めると、かなり急斜面だ。
写真を撮りながらの登山はかなり無理があった。途中でデジカメを落としてしまった。なんとか故障しなかったが、、傷だらけになってしまった。
道は一人が通れるほどの幅しかない、そして左側は絶壁だ。S氏は毎年、何人も転落死しているので気をつけろと指示が飛んだ。
さらに、沉船灣も見えてきた。
途中落盤があり、また岩をよじ登った。四つんばいになって登った。
シャークピーク頂上まではあともう少しだ。
15時25分 とうとう シャークピークの頂上に到着した。さきほどまでの強風がうそのように弱まった。。
しかし、360度パノラマの景色が最高だ。あまりの絶景にしばし立ち尽くしてしまった。辛い急斜面の登山も忘れてしまうほどの眺めだ。
しばらく休憩もかねて景色を満喫した。
S氏は急に『撤退!!!』と叫んで山を下り始めた。
上から見ると、この岩場をこれから下るのかと思うと目が回りそうになる。高所恐怖症の人はだめかもしれない。
尾根を歩きながら見下ろす景色は最高だ。
時々、すべりながら、両手で岩を押さえながらの下山だ。
振り返ると、そこには、夕日に照らされるシャークピークが綺麗に見えた。
木でつくられた足場は状態が悪く帰って歩き憎い、結局、脇の道を利用して下った。
先ほど来た方向に右折し、舗装された道を下って行く。長い下り坂が疲れきった足腰には辛い。
右手に赤徑口が見えてくる。標距柱M42のところにある階段から右手に降りよう。
道なりに歩くと小さな橋があるのでこれを右手に渡りさらに海沿いを歩行する。
ここから、黄石埠頭に船で移動することになる。
時間は17時になっていた。
翠華船務(香港)有限公司の船が運航しているが、1時間に1本しか運行していない。料金は15HKドルだ。⇒詳細
しかし埠頭の先で立っていると、北朝鮮の不審船のような小型ボートが近寄ってくる。もぐりの渡し舟だ。
おばちゃんと交渉することになるが、言葉が通じない。身振り手振りで料金の交渉だ。2人しかいないので、足もとを見られた、一人35HKドルだ。
二人は激しい軍事教練のあとで疲れきっていたので、粘って交渉する元気がなかった。相場は20HKドルのようだ、、
OKして乗り込んだ。その後すぐに、香港人の二人乗り込んだが、なぜかすぐに下船した。
どうやら、沖合いに水上警察がいるので危険を感じて下船したようだ。
なんだかわからない、我々はそのまま乗っていると、おばちゃんは我々が見えないように、右側のシートを下ろして出航した。すごいスピードで走り出した。その日は風が強かったので波も高い。かなり揺れた。しかも、水上警察があとを追って来た。
S氏は『やばいな』とつぶやき三八式歩兵銃と手榴弾を用意し始めた。
おばちゃんは、さらにスピードを出して、水上警察を振り切った。
10分くらいで、黄石に到着した。こちらの港にも不法渡し船が、たくさん客を乗船させていた。
舟を下船すると、左手に黄石は西貢へのバス乗り場がある。ハイキング客が多数バスを待っていた。
西貢までは、30分(5.5HKドル)だ。オクトパスカードや硬貨で支払う。
北潭路を西貢までひた走る。各バス亭にはハイカーが多数いて、途中からは立ち席になり、さらに満車で乗れない状況だった。始発から乗車したのはラッキーだった。
西貢には18時に到着した、あたりは暗くなっていた。
こうして、今年最後(2006年)の登山は無事終わりを告げた。
万歩計は4万2千歩になっていた。
海鮮料理で有名な西貢で、忘年会と打ち上げを兼ねて食事をすることにした。
さっそく、海辺の海鮮料理街を歩いたが、おばちゃんの客引きがすごかった。
疲れていたので適当に海鮮料理『世興海鮮菜館』に突入した。つづく!!!
2007年01月02日
香港登山 マクリホース ステージ3
大日本愛国党 香港支部長 S氏と今年(2006年)最後の軍事教練に行くことにした。
S氏は、今年最後の軍事教練にふさわしいコースを選定していた。
マクリホース ステージ3を逆走し、ステージ2に突入、香港の槍ヶ岳といわれる難所のシャークピークを攻略するというとんでもないコースだ。
ステージ3 北潭凹−企嶺下 10.2キロ 4時間 難易度3
今回、女子挺身隊員から参加の要請があり、S氏に相談すると『山は女人禁制じゃ!』と叱られた。そこをなんとかとお願いすると、もし、負傷したり、遅れたりした場合は見捨てもいいのならと、参加を認めてもらった。
しかし、はじめての軍事教練参加への緊張と恐怖からか、訓練前日、ドアに指を挟んで骨折して、急遽、当日参加を取りやめた。
S氏は『指の1本や2本で、訓練を休むとは何事じゃ!』と吠えた。
それはともかく、いつもと同じ、MTR『炮台山』の改札に午前8時に集合し駅前のスーパーで食料を調達した。
『炮台山』から港島線で柴灣方面に一駅乗車し、『北角』駅で将軍澳線に乗車し寳琳方面に2駅 『油塘』駅で、觀塘線で油麻地方面に5駅『彩虹』に到着だ。料金はオクトパスカードで10HKドル(通常で11HKドル)だ。
C2出口彩虹邨から出ると左手に西貢行きのミニバスのバス停がある。西貢までは、7.5HKドルだ。オクトパスカードか硬貨で支払って乗車しよう。
今日は折からの強風で、途中工事中の柵が道端に飛び散りミニバスの運転手がその柵を撤去するために5分ほど停車した。
西貢へは30分ほどで到着だ。このバス亭を下車して、一番外側のタクシー乗り場で、新界タクシー(グリーン)に飛び乗った。香港タクシー(赤色)15.5HKドルと違って、初乗りは12.5HKドルだと安い。
本日の出発点 ステージ3の水浪窩まで10分20HKドルくらいだ。
そこにはかなり綺麗なトイレも完備されている。
今日は香港で一番の冷え込みだ。10度くらいで寒い、S氏とヤッケを着込んでの出発だ。
ステージ3の逆送コースに突入だ。すぐに右手にいくつもの墓が出てくる。最近まで香港は土葬だったようで、壷に遺体が収納されている。気持ち悪い場所だ。その後 木々に覆われた急坂を30分ほど登ることになる。
標距柱66の先、右手には西貢海に浮かぶ島々を見ることができる。
幻想的な眺めだった。
左手には企嶺下海が見える。S氏は海に浮かぶ小船を敵機動部隊と勘違いして三八式歩兵銃で銃撃した。
正面に坂に標高399メートルの雞公山が見えた。
次の攻略目標の標高391メートルの畫眉山への道が見える。
しかしこの中間には、『地獄の底』という難所がありこの底に急坂を下り、下った分登るという辛い行程だ。
下りの道は未舗装で石ころだらけだ、転げ落ちないように注意しよう。
いくら下っても地獄の底には到着しない。
前日の大雨のため、ぬかるっていて滑りやすかった。
標距柱M61の先にやっと見えた!!そこは狭い地獄の底だった。
そこからは畫眉山へむけて、急な石段の開始だ。
標距柱61の先で草原のように開けた場所に出るがここが頂上ではない。ここの右手に見えるのが、標高379メートルの電打山だ。ここは登らずに、左手の道にすすむ。
左手からすこし下り坂になる前方にはこれから走破する道が見える。
背後にはビーチクのようなへんてこりんな突起物のある電打山が見える。
前日の豪雨で道はかなりぬかるんでいた。その先には道というか崖のような岩肌を登って行く。
標距柱M58 の先は畫眉山 山頂へは向かわず、右手の道へ進む。
時々落盤で道が破損していた。
途中、巨大な糞を発見した。このあたりからは、牛が多数出没するようだ。多いは登山道で寝転んでハイカーの行く手を妨害するそうだ。しかしこの糞にはその後も悩まされる。
いたるところが糞だらけなのだ。 中には、糞からキノコが生えていたりする糞もあった。
平坦な道を通り抜けると、見晴らしのいい未舗装の急坂を下っていく。
標距柱M55付近は、ちょぃと開けている。道標もある。
左方向、小さい橋を渡ると、掘っ立て小屋のような売店がある。『許林士多』だ。
連合赤軍の基地のようだ。豆腐花が有名な店だ。『この店の豆腐花はうまい!』との書き込みを読んだことがある。
何回か訪れたことがあるS氏は『そんな騒ぐほどの味ではないんじゃ、わけのわからない飲み物が、そこらへんで拾ったようなペットボトルで販売されとるんじゃ 食中毒になるのが落ちじゃ』と吠えた。
我々は先を急ぐことにした。標距柱54の先には見晴らしのいい草むらがあった。牛の糞もなくここで、昼食を食べることにした。
12時を回っていたが、気温がいっこうに上がらない。風も強く、ヤッケを脱ぐことが出来ない。体感気温は10度前後か、、、
この先は標高452メートルの岩頭山の右手の未舗装の道のアップダウンが続く、時折、右手に見える西貢海の先に浮かぶ島が綺麗に見える。
正面には牛耳石山が聳え立っている。(写真右)
標距柱M51付近からの景色は最高だ。しかし今日は折からの強風で撮影はおろか、立っていることも困難だった。吹き飛ばされてしまいそうだった。
左手には大難海の海が広がる。そして正面の吹きさらしの急な坂道をくだらなければいけない。横風で吹き飛ばされそうだ。
そして、ステージ3の終着点の北潭路に到着した。マクリホースのトレードマークの石碑もあった。
その道を左手に100メートルほど進むと、ステージ2に侵入することができる。入り口には綺麗なトイレも完備されている。
ここにはバス停もあるので西貢への撤退も可能だ。
次の攻撃目標は、香港の槍ヶ岳 シャークピークなのだが、しばらくはステージ2を逆走することになる。 つづく!!!!