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鹿児島&屋久島旅行記

2009年09月07日

鹿児島&屋久島観光5

鹿児島&屋久島旅行記 香港⇒関西国際空港
http://amet.livedoor.biz/archives/50319567.html

鹿児島&屋久島旅行記 大阪⇒鹿児島空港⇒屋久島
http://amet.livedoor.biz/archives/50319571.html

鹿児島県 屋久島いわさきホテル
http://amet.livedoor.biz/archives/50322728.html

屋久島3大滝(千尋の滝 トローキの滝 大川の滝)
http://amet.livedoor.biz/archives/50323260.html

屋久島 白谷雲水峡 トレッキング
http://amet.livedoor.biz/archives/50323380.html

屋久島⇒鹿児島  『霧島神宮 古宮跡』
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霧島温泉郷 『鳥遊ぶ森の宿 ふたり静』
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知覧 『ほたる館 富屋食堂』
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知覧特攻平和会館
http://amet.livedoor.biz/archives/50324912.html

指宿 『白水館』 鹿児島県
http://amet.livedoor.biz/archives/50325215.html

『開聞岳・池田湖』観光&砂むし温泉
http://amet.livedoor.biz/archives/50326715.html

鹿児島市内観光(維新ふるさと館、城山)
http://amet.livedoor.biz/archives/50326993.html



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2007年03月30日

鹿児島市内観光(維新ふるさと館、城山)3

維新ふるさと館指宿を離れて鹿児島市内観光に向かうことにした。

平成18年3月にリニューアルされたばかりの鹿児島市『維新ふるさと館』を見学した。

 

 

維新体感ホール入口で入場料300円を支払い中に入ると、ちょうど地下1Fの維新体感ホールで上映がはじまるということで、見ることにした。

1日10回『維新への道』上映時間25分 西郷さんや大久保どんなどの人形が出て来て、明治維新当時の薩摩藩の再現ドラマだ。

 

展示物ほかのフロアーにも、明治維新前後のさまざまな展示物や映像を見ることが出来る。中学生の社会科見学にぴったりの場所だ。

英国軍軍楽隊長 ジョン・ウイリアム・フェントンが、作曲した日本国歌『君が代』の原曲を聞くコーナーもある。(↓動画参照↓)

 

西郷さんと大久保どん撮影コーナー等身大の西郷隆盛や大久保利通の像や、薩摩の町を再現したコーナー、

西郷や大久保の服を着ての撮影コーナーもある。

 

鹿児島市『維新ふるさと館』 099-239-7700
〒892-0846 鹿児島市加治屋町23番1号
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
年中無休 

西郷隆盛誕生の地そして、この維新ふるさと館の近辺には、

『西郷隆盛誕生の地』

1827年下級武士の7人兄弟の長男としてこの地に生まれた。

 

大山巌元帥誕生の地『大山巌元帥誕生の地』 

明治時代の陸軍元帥 日本陸軍の創設者

日露戦争では、満州軍総司令長官として奉天大会戦でロスケを
打ち破った名将

 

東郷平八郎誕生の地『東郷平八郎誕生の地』

明治時代の海軍元帥 日露戦争で日本海海戦で、その当時、世界最強と言われていた ロシアのバルチック艦隊を肉を切らせて骨を切る敵前回頭戦法により殲滅した名提督 世界三大提督(ホレーショ・ネルソン、ジョン・ポール・ジョーンズ)の一人。いまでも、この地を世界の海軍軍人が訪れる。

『大久保利通生誕の地』も近辺にあったが、個人的に好きではないのでパスした。

西郷隆盛像そのあと、中央公民館の前に建つ『西郷隆盛像』を見学した。城山を背にして建つ銅像は高さが8メートルほどあり大きいので、道路を渡ったところから撮影するとちょうど全体がおさまる。

 

 

西郷洞窟城山へ向かう途中の右手の道路沿いにある『西郷洞窟』
明治10年の西南戦争のとき、この洞窟で西郷さんは、数日を過ごした

 

 

城山展望台天候があまりよくなかったが、城山展望台に向かった。明治10年の西南戦争の激戦地だ。

展望台からは錦江湾をへだてて、少し雲に覆われていたが桜島が見えた。

 

西郷隆盛終焉の地そのあと、城山を車で降りて 『西郷隆盛終焉の地』

明治10年9月24日『西郷洞窟』から出た西郷さんは、この地で『もう ここらでよか』と切腹してはてた。。

 

 

くろいわラーメン鹿児島市内観光を終えた私は、本場鹿児島ラーメンを食べに行った。

市内(天文館)にある『くろいわラーメン』だ。(豚骨、鶏がらのラーメン)

 

 

チャーシュー麺ねぎともやしがたっぷりはいったチャーシュー麺を食べた。コシのある麺、意外にさっぱりした豚骨スープ、、なかなか美味しかった。

 

 

 

西郷公園帰りの飛行機の時間も近づいてきたので、鹿児島空港に向かった。空港前にあるニッポンレンタカーで車を返却し、まだ多少時間があったので、隣にある西郷公園に立ち寄った。。。またまた ここにも西郷さんの銅像があった。。上野公園の西郷さんも含め、全国にはいったい何体の西郷さんがあるのだろうか、、、

 

こうして、1週間の鹿児島&屋久島旅行は終わった。。



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2007年03月29日

『開聞岳・池田湖』観光&砂むし温泉3

翌日、天気はあまりよくなかったが、指宿から車で、開聞岳、池田湖方面を観光することにした。

まず、指宿『白水館から車で、10分ほどのところにある 標高215メートルの魚見に向かった。

この小高い山からの展望は最高だ。

知林ヶ島錦江湾に浮かぶ周囲3キロ 面積52ヘクタールの知林ヶ島(無人島)が見える。霧島屋久国立公園にあるこの島は、指宿カルデラの外輪山の一部を形成している。

干潮時には長さ800メートルの砂の道(砂州)が出現して対岸の田良岬から
知林ヶ島まで徒歩で渡る事が出来る。

らせん状階段かすかに見える開聞岳らせん状の階段を上がり魚見岳展望台からは、開聞岳の頂上もかすかに見える。

 

 

天気がよければ、北に桜島、東には大隈半島も一望できる。

開聞岳その後、指宿駅方面に進んで国道226号線で開聞岳方面に向かった。

途中で、開聞岳が綺麗に見えてきた。

 

 

フラワーパークかごしまフラワーパークかごしま&長崎鼻パーキングガーデンに到着したが、あまりにも寂れていたので、パスした。

 

 

 

鏡池開聞岳が水面にうつり『逆さ開聞』と呼ばれる名所??の鏡池に立ち寄ったが、、まあどうでもいいため池だった。

 

 

 

菜の花畑池田湖に向かう途中、菜の花があたり一面に咲いていた(2月中旬)

そして、恐竜の『イッシーくん』で有名な池田湖に到着した。周囲15キロ、水深233メートルのカルデラ湖だ。

 

大うなぎドライブイン『池田湖パラダイス』で休憩した。

ドライブインの売店は大きいが客はまばらだ、おばちゃんの押し売り攻撃をかわしながら、池田湖名物の大うなぎを見学した。体長は2メートル、胴回りは50センチメートルもある。うな丼をつくったら、50人前以上できそうだが、まずそうだ。

 

池田湖畔ドライブインの駐車場から道路を横断したところには、菜の花が咲き乱れていた。

 

 

 

イッシードライブインから車で3分ほどのところに、イッシー像があった。

昭和53年9月3日、湖面を猛スピードで進む、黒い物体が!???ということで、『イッシー』と呼ばれる未確認巨大生物が生息しているらしいが、その後だれも確認していないようだ。。

 

大うなぎ遊覧船(モーターボート)の船着場に、大うなぎが展示されているが、あまりゆっくり見学していると、『モーターボートにのらねえか?』としわくちゃな顔をしたジジィにつきまとわれるので要注意だ。

雨足がさらに強くなり観光どころではなかった。

 

砂むし会館砂楽指宿名物の砂むし温泉に行くことにした。。

池田湖から指宿までは、車で、30分ほどだ。

指宿駅のすぐ近くの『砂むし会館砂楽』に向かった。

駐車場は満杯で混雑しているようだった。

タオル2Fの受付で、入浴料900円を支払い、タオル100円で購入し、バスタオルを200円でレンタルした。入浴用の浴衣のレンタルは料金に含まれている。

天気がいいとき、干潮のときは、、屋根のない浜辺で砂むしできるのだが、今日は雨が降っていたので、屋根のあるところでの砂むしだ。

海辺砂むし更衣室で浴衣に着替えて、タオルを片手に砂むし場に行った。

頭にタオルを巻いて、すこしくぼんだところの砂の上に横になると、スコップで生き埋めにされる。

 

注意書き温泉が地下を海岸に向かって流れ出しており、その温泉で温められた砂を利用している。⇒しくみ

湿った砂は意外に重く、身動きがとれなくなる。背中はかなり熱くなる。低温火傷しそうだ。だいたい15分ほど入浴する。

わたしは 少し粘って20分以上生き埋めにされていた。

屋根つきその後自力で這い出して、更衣室の手前にある温泉に入浴して砂を落とす。入口で砂だらけの浴衣は返却する。

たいした時間ではないが、頭がぼ〜〜〜っとするほどのぼせた。

 

 

マッサージ3Fには、軽食コーナーマッサージ機が置いてある部屋もある。
ここからの展望もいい。

砂むし温泉の効用は普通の温泉の3〜4倍。顕著な循環促進による末しょう老廃物の排出や炎症性、発痛性物質の洗い出しと、十分な酸素、栄養の供給がその効果の源 らしいが、、、

 

砂むし会館砂楽
鹿児島県指宿市湯の浜五丁目25番18号 TEL 0993-23-3900
営業時間 8:30−21:00
料金 900円 (浴衣つき)
タオル 100円(販売)
バスタオル 200円(レンタル)

こうして指宿二日目の観光は終了した。



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2007年03月27日

指宿 『白水館』 鹿児島県2

白水館知覧を後にして、本日の宿泊先の指宿『白水館』に向かった。知覧を離れたのは17時だったので、到着は18時になってしまった。

社員旅行で利用できそうな、敷地面積5万坪の巨大旅館だ。

 

 

ロビー正面玄関で車から降りると、迎えの仲居さんが出てきたが、相当なばあさんで、我々の重いスーツケースを運ぶことはできなかった。おまけに、離れた駐車場まで車を自分で置いてくるように言われた。なんだかサービスが悪い旅館だ。

 

 

西郷さんちょうど、チェックインの団体客などで、フロントは混雑していた。待つこと10分、旅館の人が出て来て、やっと部屋まで案内してくれた。

途中で西郷さんの銅像が出てきたので記念撮影しておいた。

 

 

部屋眺め海向きの眺めのいい部屋だったが、フロントから5分以上は時間がかかる。遠いそして小さめな部屋だった。

 

 

お土産処庭夕食が7時すぎからということで、さっそく温泉大浴場に行くことにした。

お土産処を通り抜け、さらに綺麗な中庭を左手に見ながら歩くと、突き当たりにようやく、江戸時代の風呂文化を再現した『元禄風呂』がでてくる。

元禄風呂入口浮世風呂、花魁風呂部屋からは歩いて8分くらいはかかる。。

しかし風呂はでかい、種類もたくさんだ。

実際に遊女は入浴していないが、、浮世風呂、花魁風呂

江戸石榴風呂(ざくろぶろ)樽風呂江戸時代の蒸し風呂を再現した江戸石榴風呂(ざくろぶろ)

黒鉛軽石を利用した床石による遠赤外線効果のある樽風呂(写真右)

 

泡泉あづまや式の休憩所中央には巨大な風呂、泡泉(写真左)

2階からは、露天風呂に出ることができる。

湯船の真中にはあづまや式の休憩所がある。(写真右)

打たせ湯釜風呂やぐら風の建物から四方にお湯が出て下に立つとマッサージ効果のある打たせ湯(海岸に泉源があるので、塩分が強い)

小さい入口から入る釜風呂、サウナのようだ。(写真右)

砂蒸し温泉更衣室別料金で砂むし風呂も専用の浴衣を借りて入ることができる。

更衣室も広めで 元禄風呂はおすすめだ。

 

『元禄風呂』
ナトリウム塩化物泉
5:30−10:00 15:00−24:00
砂蒸し温泉は 5:30-9:00 15:30−22:00 別料金 1050円
立ち寄り湯は出来ない。(宿泊者のみ)

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2007年03月23日

知覧特攻平和会館4

知覧特攻平和会館富屋食堂を後にして、10分弱で『知覧特攻平和会館』に到着した。

大学時代(25年くらい前)に友人と3人で訪れたなつかしい場所だ。

 

特攻平和会館は、新しく改装されていた。以前は知覧特攻遺品館という名称だった。昭和60年に2年間かけて改装して『知覧特攻平和会館』となったようだ。

一式戦闘機『隼』駐車場から平和会館に向かって右手には、映画『俺は、君のためにこそ 死ににいくの撮影のために本物の設計図を取り寄せ5000万円で製作された一式戦闘機『隼』が展示されていた。

 

 

特攻銅像『とこしえに』その先には、昭和49年に建立された、特攻銅像『とこしえに』がある。

右隣には、私が、以前 航空自衛隊静浜基地で操縦したことがあるT-3初等練習機(写真下)が展示されていた。

T-3初等等練習機

 

 

 

 

灯篭特攻平和観音さらに左手に進むと、そこには、両側に特攻で犠牲になった方々の灯篭が建てられており、その奥に特攻平和観音がある。この観音堂も平成16年に改築された新しいものだった。観音様の体内には特攻で散っていった1036英霊の霊名録が収められている。

三角兵舎平和観音の左手には、復元された三角兵舎がある。

『三角兵舎』とは、
特攻隊員の宿舎で、米軍機に発見されないように、松林の中に半地下壕をつくり、屋根にスギの幼木をかぶせ偽装していた。出撃前夜はこの三角兵舎で壮行会が行われた。

 

知覧特攻平和会館いよいよ、『知覧特攻平和会館』の見学だ。以前訪れたときは、木造だった記憶があるが、いまでは、改築されずいぶん立派な建物になっていた。これも時代の流れか、

撮影禁止なので内部の写真はご紹介できない。

 

特攻隊員の写真館内は右回りに見学するようになっている。壁には出撃順に出撃日、氏名、所属部隊が書かれた写真が展示してあり、遺書、遺品などがガラスケースに整然と並べてある。次々に17歳から20歳の若者の写真が目に飛び込んでくる、遺書の内容もさることながら、その達筆なところにあらためて感心した。

 

 

三式戦闘機『飛燕』館内に入場して、中央には、日本陸軍三式戦闘機 飛燕(当時、日本唯一の液冷式の新鋭機)が展示してある。

 

 

 

知覧特攻平和会館参事 松元氏この『飛燕』の前で、会館の方(写真左)が、修学旅行の女子高生を座らせて説明をしていた。
かなり年配の方だが、特攻隊の生き残りの人ではない。しかし、その当時の話をわかりやすく、しかも力強く感動的に話していた。15分もたつと、館内の見学者が集まり始め、結局45分ほどの時間だったが、最後には100名近い人があつまっていた。女子高生に『この知覧特攻会館でなにかをつかんで帰ってほしい』と切々と説くその姿が印象的だった。

 

四式戦闘機『疾風』説明を聞き終わった特攻隊員と同世代の女子高生が熱心に遺書を書き写していた。

ほかにも、修学旅行の生徒がかなりいた。最近、修学旅行で海外に行く馬鹿学校も多いらしいが、ぜひ、中学・高校生にこの知覧を訪れてもらいたい。。

館内には、四式戦闘機『疾風』(写真上)も保存されていた。

零式艦上戦闘機『零戦』戦後、鹿児島県甑島の手打港沖から昭和55年に引き上げられた 日本海軍の零式艦上戦闘機『零戦』いわゆるゼロ戦も展示されている。

 

 

特攻隊員この館内には、1036名の特攻隊員すべての写真が展示されていた。彼らは、いったい何を思って死んでいったのであろうか。。彼らがそこまでして、守りたかったものはなんだったのだろうか、、

 

 

宮川軍曹25年前、大学時代にこの地を訪れた時、特攻隊員の写真・遺書の前で動けなくなり、見学後はしばらくの間、会話もできなかったほど衝撃的な体験だった。

2度目の今回も、時間が過ぎるのも忘れて、特攻隊員の遺書を読んでしまった。2時ごろに特攻会館に到着したのだが、気がつくと閉館時間の5時になっていた。

我々は、日本のため、家族のために、知覧飛行場を飛び立ち開聞岳で翼を上下に振りながら日本に別れを告げて、沖縄の敵艦船に特攻していった若者がいたということを忘れてはいけない。

 

知覧特攻平和会館』 0993-83-2511
開館時間 9:00-17:00(入館は16:30まで)
入館料 大人 500円 小中学生 300円
年中無休

今年の5月12日 映画『俺は、君のためにこそ 死ににいくが公開される。

 
知覧特攻平和記念館(映画『ホタル』より)


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