2006年12月11日
香港登山 ウィルソントレイル(ルート2〜1) 第4弾!no1
香港島を横断する香港トレイルを3回で終了したので、次は香港島を縦断するウィルソントレイルに突入することにした。
ウィルソントレイルはルート1、2の途中の赤柱から太古までが、香港島サイド
ルート2の途中〜10まで、藍田〜南涌の九龍サイドに及ぶ全長78キロメートルの難コースだ。
今回はルート2から1に逆送して赤柱に行軍することにした。
『ルート2』 炮台山→黄泥涌水塘 4キロ 2時間 難易度2
『ルート1』 黄泥涌水塘→赤柱峡道 4.8キロ 2時間 難易度3
今回も距離はさほどでもないが、香港島では一番の難コースなのだ。
このコースは、1941年12月18日に香港島に上陸した大日本帝国陸軍が黄泥涌峡(Wong Nai Chung Gap)を攻略して赤柱の英国軍を打ち破った香港島攻防戦の進軍コースと同じだ。大日本愛国党のS氏は、この香港島攻防戦で亡くなった日本軍兵士への鎮魂登山だとはりきっている。
大日本愛国党のS氏とMTR『炮台山』駅に10時に集合した。(日本時間11時)だ。
S氏(写真左)は軍帽をかぶり足にはゲートルを巻いて、改札口の前で仁王立ちだった。さっそく駅前で大日本帝国陸軍の航空体操で身体をほぐした。道行く香港人がS氏の軍隊式体操を見ると怯えていた。
本来の『ウィルソントレイル』はMTR『太古』駅から始まるのだが、今回は、私が10年以上前に住んでいた『寶馬山花園』を見てみたいと言うと、S氏がならばと、出発点を変更してくれた。
MTR『炮台山』駅からは、いきなり階段だ。この付近の住民はこの急な階段を毎日上り下りしている。しかしもう少しで、エスカレーターが完成して便利になるようだ。その後、車道をひたすら『寶馬山花園』に向かって歩いた。
途中には『香花徑』(AROMA WALK)というナンパな散歩道は無視して直進すると、懐かしい『寶馬山花園』(ボーマサンファンユン)が現れた。英語では 『PACIFIC PALISADES』 (パシフィックパリセード)だが、まず通じない。
13年前はほぼ新築だったが、もうぼろぼろだった。香港の建築は造りが甘く、築10年もすぎるとボロボロだ。
このマンションにはプールやジムのファシレィティーも充実していて部屋からは、旧国際空港の啓徳空港が見下ろせ九龍の夜景も一望できた。
ここに13年前、居候の2名を含め、男三人で生活していた。毎日、フィリピンバーと韓国カラオケに通って、そんなに給料は悪くなかったが、1年弱でたいそうな借金をこさえて帰国したことを思い出した。居候の二人がフィリピンバーの女性を10人ほど、週末に連れ込み、自宅がフィリピンバーになって、近所の日本人からひんしゅくをかっていた。
その『寶馬山花園』裏から今回のトレイルはスタートする。左手に寶馬山(BRAEMAR HILL 標高200メートル)を見ながらいきなり急な石段だ。
ここは、我が日本軍に反抗する香港人を逮捕して銃殺した場所なんだ。とS氏がしみじみ語った。
登り切ると、『Quarry Bay Jogging Trail 』と呼ばれる、平坦なジョギングコースを歩く。時折、日本人がたくさん居住する太古(タイクー)の高島平のようなマンション群が眼下に広がる。
その道を1キロほど歩行すると右手に道標が現れる。ここから、アップダウンの続く本コースに突入だ。
早くも急な石段が始まった。最初の攻撃目標である小馬山を目指した。
標距柱15が現れた、リュックを背負った登山者がウィルソントレイルのトレードマークだ。
その先には、無線電站(Wireless Station)が現れる。看板や悪戯書きでいっぱいだ。文字も破損していてなんだかわからない。
S氏は敵軍の無線が傍受できるかもしれないと、陸軍九八式無線機をリュックから取り出していた。そして、電波塔に向かって霧の中を匍匐前進(ほふくぜんしん)していた。
小馬山橋 付近で、天候は悪化し大粒の雨が降ってきた。大日本愛国党のS氏から、ヤッケを着るように命令された。
霧も濃い、難コースながら景色が最高のウィルソントレイル、しかしこの天候では景色は期待できない。ぶつぶつ言うと、『我々は景色を見に来たのではない!軍事教練だ。景色がなんだ!』とS氏は怒り出した。
『こういう霧の濃い日は、英国軍狙撃兵から狙われにくいんじゃ、香港人レジスタンスからの攻撃も受けにくいんじゃ 敵もこの霧の中、突撃しないだろうと油断しているんじゃ!』と吠えた。
そして 急坂をどんどん登って行った。振り返ると、すでに占領した北角の町が霧の中でぼんやりと見えた。
標距柱14をすぎて第一目標の小馬山山頂に到着した。この山頂には鉄塔が建っているしかし、今日は霧で至近距離でも全景を確認するのが困難だった。その鉄塔にS氏はよじ登り時限爆弾を仕掛けた。その後、未舗装の道を下っていく、雨で滑りやすく危険だ。
標距柱13をすぎると、三叉路にぶつかるここから、右折し、ルート2終点の陽明山荘までは、香港トレイルのルート5とかぶる。
前回、香港トレイル ルート5で行軍した道を逆方向に行軍することになる。あたりは霧でなにも見えない。
標距柱12からは、石礦場 写真左下(Quarry)まで、急な石段をすべらないように下った。左手にはかすかに、大潭上水塘が見える。S氏は『この水源を占領すれば、英国軍は投降してくるだろう』と力強く語った。
石礦場(Quarry)の先に香港トレイルの標距柱56があるのだが、ここから渣甸山(Jardines'Lookut) 標高433メートルの頂上まで、地獄の石段登りだ。霧に巻かれながらひたすら登るしかなかった。
ふらふらになりながら歩いていると、香港人が、『こんにちわ!がんばって』と日本語でエールを送られた。S氏は、『英国軍から送り込まれたスパイかもしれないから気をつけろ』と言われた。
標距柱11をすぎて、石段をさらに登ると、渣甸山(Jardines'Lookut)の頂上についた。ここから北角方面の景色もすばらしいのだが、濃い霧のために何も見えなかった。
ここからルート2の終着点まで、長い下りの石段だ。標距柱9をすぎると高圧線の鉄塔が見える。その先が、陽明山荘だ。約2時間の行軍だった。
手前の坂道では、夜になると蛍を見ることができる。前にも書いたが、S氏によれば、この陽明山荘付近の日本軍と英国軍の最大の激戦地『黄泥涌峡』での日本軍戦死者の御霊だそうだ。
こうして、ルート2を走破した。陽明山荘のパークンショップ(スーパー)で、休憩をかねて昼飯を調達して食べることにした。
続く。。。。。⇒こちら
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この記事へのコメント
S氏のあやしさにはまって、面白く読ませて頂きました。
続編頑張ってください。
すごい読み応えと見ごたえがあるブログですね。
私もシンガポールや香港などへ旅行や出張がすることが多いのですが、もっと勉強しようって思いました。
これからも頑張ってください!