2006年12月18日
香港登山 ウィルソントレイル ルート2
毎週、、大日本愛国党 香港支部長のS氏と登山と言う名の軍事教練をしているのだが、自衛隊 習志野空挺師団出身のS氏にはどうしても遅れをとってしまう。
ならばと、秘密訓練をすることにした。以前、霧に巻かれたウィルソントレイルのルート2〜1のルート2の部分を一人で登ることにした。
『ルート2』 黄泥涌水塘→MTR太古駅 4キロ 2時間 難易度2
その日は快晴で景色も期待できる。
さっそく陽明山荘から左に進んだところにあるルート2の出発点に向かった。
今回は絶景ポイントなどの説明も含め詳細を報告したい。
神社の鳥居(写真左上)のようなところからウィルソントレイルのルート2の始まりだ。そこから、直進するとバーベキューエリアがひろがるが奥斯本紀念碑という道標のある方向(右側)の道を登っていく。
すぐに、石碑のようなものがあらわれる。よく読むと1941年12月18日我が大日本帝国陸軍が、北角から上陸し、黄泥涌付近に攻め込んだ12月19日にここで、激戦になってカナダ兵が65人戦死したみたいで、その慰霊碑のようだ。やはり日本軍は強い!クリス&ジョンが見たら驚きそうだ。
標距柱9の先はなだらかな石段が続く、しかし、途中から最初の目標点である渣甸山(Jardines'Lookut)に向かって急な石段になる。
標距柱10の手前に大きな石(写真左)があるがこの上から今来た方向をみる景色が一番目の絶景ポイントだ。左には、大潭港が見える。
中央は陽明山荘(写真左)、右は深水灣が見渡せる。 180度景色が見渡せる。
しばらく歩くと、平坦な道に出る。この左手は、標高507メートルの柏架山(Mount Parker)(写真右)や大潭上水塘&大潭港が一望できる。第2の絶景ポイントだ。
その先に渣甸山(Jardines'Lookut) の山頂がある。左奥には展望所があり、そこにあるちょっとした石に登って下界を見下ろすのがいい。第3の絶景ポイントだ。
左にはセントラル(中環)、まん前は銅鑼灣のビル群がひろがる。右手には旧啓徳空港も遠くに見える。(動画参照)
山頂をすぎると、左手下には、石礦場(Quarry)が見え、右手にはまたまた、大潭上水塘が見える。こちらは、先ほどの景色の裏手になるのだが、ここも絶景ポイントだ。 (動画参照)
ここからは石段の長い長い下りだ。底まで下ると渣甸北引水道に到達する。
この谷底からは、辛く長い石段の登りが始まるのだ。右手は絶壁なので転げ落ちないようにしよう。大潭上水塘がきれいに見える。
標距柱12の先には、休憩するのにいい大きな岩の踊場がある。ここで休憩しながら、見下ろす景色はなかなかいい。大潭上水塘や大潭港が今までと違った角度で見ることができる。(動画参照)
さらに登ると三叉路にぶち当たる。道しるべがあるのですぐわかる。ここで左折して、小馬山の山頂をめざす。
小馬山の山頂には火の見櫓のような鉄塔が立っている。
標距柱13〜14の間はなだらかな登山道が続き、景色がいい場所だ。
時折、香港国際空港から飛び立った飛行機が真上を通り過ぎる。
左手には銅鑼灣〜中環のビル群を見下ろすことができる。
右手は筲箕灣のマンションと九龍半島の鯉魚門(写真左)がきれいに見えた。
正面には、旧啓徳空港跡と九龍半島の山々(写真右)が見えた。
石段を小馬山橋まで一騎に下ることになる。以前S氏が匍匐前進して近寄った無線サイト(写真左下)も今日はよく見えた。
その後、西灣河のマンションを見下ろしながら石段をさらに下ることになる。
石段を下り切ったら左折するそして、平坦な鰂魚涌緩跑徑というジョギングコースを進む。
標距柱16(写真右)が出て来たら、右手に下ろう。左手に行くと、北角方面に行ってしまうので気をつけよう。
ここからは、コースが若干わかりにくく道を間違える可能性があるので気をつけよう。
しばらく下ると、道標が出てくる。ここは右に進むのだが、その右手には、水子地蔵のような不気味な観音様があった。子供を抱いた観音様だ。
うす気味悪い道をすすんだ。途中公園のような広場に出るがかまわず直進しよう。すると休憩所のような建物に出くわすのでそこは階段を降りて車道を左折する。
20メートルほど先に鰂魚涌樹木研習徑という鳥居のような道標が出てくるのでここをまた降りていく、
標距柱17の先には、壊れた建物が出て来るが、これは、第二次大戦中に大日本帝国に抵抗するための実際建造された、食料貯蔵庫だった。こんな小さな貯蔵庫では、焼け石に水だと思った。
さらに進むと、戦時爐灶(Wartime Stoves)という遺跡が出くわした。
これも我が大日本帝国に抵抗するために作られた、キッチンらしいが、こんなところで、飯を作っているひまがあったら、戦うか逃げたほうがましだろうと思った。
実際、一度も使われなかったそうだ。その前に大日本帝国に全島占領されてしまったからだ。ちゃんころは本当に馬鹿な民族だ。
さらに直進すると、またそのぼろぼろのキッチンに出くわす。
今度は、その戦時中のキッチンの真ん中を通り抜けて康怡花園(Korn Hill)を目指してさらに下ることになる。
標距柱18をすぎると、右手には、康怡花園(Korn Hill)の巨大マンションが見えてくる。
そして、さらにすすむと、車道に出てもうそこは、登山道というよりは街中だ。リュックや登山杖を持って歩いていると恥ずかしい。
大通りの英皇道に突き当たったら右折して200メートルほどで、MTR太古駅に
到着して 2時間の秘密訓練は終わった。
隣接するJUSKO(吉之島)のトイレを拝借して着替えをした。
S氏に秘密訓練後、無線連絡を入れ、戦時爐灶(Wartime Stoves)のことを報告すると、『なんでその場で、破壊してこなかったんだ!』とこっぴどく叱られてしまった。
