2007年02月17日
香港登山 マクリホース ステージ1
今年も本格的な軍事教練に大日本愛国党のS氏と突入することになった。
九龍サイドにあるマクリホーストレイルのステージ1・2がまだ攻略していなかった。
マクリホーストレイルとは!
第25代香港総督マレー・マクリホース卿(1971年11月〜1982年4月)の名前がつけられた九龍サイドにあるコースだ。
北潭涌を起点にして、終点の屯門までの全長100キロのトレイルコースには10個のステージがある。
香港トレイル、ウィルソントレイル、ランタオトレイルと並び、香港4代トレイルのうちのひとつだ。
ほかのトレイルとちょっと違うところは、このトレイルは毎年11月に『100キロトレイルウォーカー』が開催されるのだ。これは、4人一組で参加し、48時間以内にコースを完走するという大会だ。完走したチームには賞状と寄付金を払う権利を獲得できるというへんな大会だ。
寄付金は約1千5百万HKドル(約2億2千万)ほどあつまり、3分の一はネパールへ、3分の一は、香港の障害者のため、残りは、アジア・アフリカの飲料水浄化施設建設のために寄付されるそうだ。
1986年から開催されているこの大会は最近では、900チーム以上、3500人以上の参加者で賑わう。チームの50%くらいが完走するらしい。13時間で完走したチームもある。
大日本愛国党のS氏も完走したことがある。さすが、気合が違う。
そして、このマクリホースのステージ5(標距離柱M095〜M0107)の間は、戦地遺跡(War Relics)になっていて、第二次世界大戦中の遺跡が17箇所点在している。S氏の一番好きなポイントだ!
ステージ1 北潭涌−浪茄 難易度1 10.6キロ 3時間
ステージ2 浪茄−北潭凹 難易度2 13.5キロ 5時間
難易度的にはそう難しいコースではないように見えるが、総距離24キロ8時間の長丁場だ。
いつものMTR『炮台山』に8時に集合することになっていたが、あいにくの雨で、1時間様子見で集合時間を遅らせた。天気予報でも週末は雨と言われていた。
S氏は『雨でも戦争は遂行せんといかん!』
雨がっぱ、折りたたみ傘、ウィンドブレーカーなど雨具の準備をして集合と雨天決行の決断をした。
MTR『炮台山』から港島線で柴灣方面に一駅乗車し、『北角』駅で将軍澳線に乗車し寳琳方面に2駅 『油塘』駅で、觀塘線で油麻地方面に5駅『彩虹』に到着だ。料金はオクトパスカードで10HKドル(通常で11HKドル)だ。
MTR『彩虹』のB出口を出て、『西貢』行きの表示がある緑色のミニバスに乗車して西貢に向かった。オクトパスカードで7.5HKドルだ。
西貢でミニバスを下車したら右側にタクシー乗り場があるので、ここでも緑色のタクシーに飛び乗ろう。『北潭涌』と書いた紙を見せよう。
15分ほどで、マクリホーストレイル ステージ1のスタート地点に到着だ。料金は51HKドル(初乗りは12.5HKドル)だ。10時10分進軍開始だ。
このマクリホースの始点から、しばらく車道のなだらかな坂道を登る。
500メートル進むと記念すべき1番目の標距離柱の登場だ!
1キロほどで、人工湖の萬宜水庫に到着だ。ここは、右手に進む。香港のハイキングコースでよく見かける『今日の山火事情報』の掲示板が目印だ。今日は雨なので山火事発生率は低い。
ここからも、ひたすらなだらかな車道を歩くことになる。ときどきタクシーや作業用の車が通るだけだ。左手に時々、萬宜水庫が見える。
標距離柱M005あたりから、雨足が強くなってきた。傘を出しての行軍だ。小さなダムのような所に出た。左手の萬宜水庫の水が透き通っていて綺麗だ。 なにも遮るものがないダムの上の道は強風で傘をさすのが困難だった。
ダムを渡りきると左手に円筒形の巨大な建造物が、大日本愛国党のS氏は軍事施設ではないかと、警戒していた。
標距離柱M007の先には、先ほどより大きなダムが出現した。紀念碑(石碑)によると1978年11月27日に完成した西壩(West Dam)だ。
右下には創興水上活動中心というせき止められた小さな湖のような場所があり、この雨のなか、ウィンドサーフィンなどをしている人がたくさんいた。その先は海だ。
左手には、萬宜水庫のX取水塔がある。なんだか狭山湖みたいだ。狭山湖の周辺には某新聞社のT編集長がノンちゃんと通ったラブホテル街があるのだが、確かのそのラブホテル街の入口には『気をつけよう暗い夜道と甘い言葉』というデカイ看板があった。ラブホテル街にその看板はいただけないと思った。しかし、萬宜水庫の付近にはラブホテル街は残念ながらない。。
標距離柱M009からは、なだらかな坂の車道だ。時々左手に萬宜水庫が見えるが、このところ降水量が少なかったためか、水位はかなり低い。
うしろから2名の男性が我々を抜いていった。どうやら日本人と香港人のペアだ。日本人のおやじはがスパッツをはいて、登山杖を2本持って、お尻をプリプリさせながら競歩のように歩いている。大日本愛国党のS氏は『男のくせに気持ち悪いな、、、ピチピチのスパッツなんかはきやがって!ウルトラマンじゃねえんだぞ!ホモかおまえらは!』と吠えた。
標距離柱M013を過ぎると、左手遠くに 東壩(East Dam)がかすかに見える。左写真の真ん中に見える平らなところがダムだ。
標距離柱M014の先の右手には、西貢の東岸で綺麗な海岸といわれる白臘灣が木陰から見える。灣の右手には標高156メートルの白虎山も聳え立っている。
標距離柱M015の先の景色のいいところで昼食&休憩にした。雨はあがっていた。。ここからは、白腊仔が綺麗に見えた。
気温が低くおそらくは13度前後、休憩していると身体が冷えてきたので、先を急ぐことにした。しかし、単調な舗装路だ。いいかげん飽きてきた。ステージ1は距離は長いが、景色はまあまあなのはともかくとして、あまり面白いトレイルではない。
標距離柱M017をすぎると、H型のテトラポットの紀念碑(石碑)が出現だ。
これは、萬宜水庫のダム工事で亡くなった4名の慰霊碑でもある。
もともと、慢性的な水不足に悩まされた香港が、1979年、西貢最大の島だった糧船灣を東西二つの巨大なダムで囲って貯水池をつくった。世界初の試みで、香港最大の貯水量だ。それが、萬宜水庫なのだ。
特に東壩(East Dam)は大海を目前にしているため、ダム壁は7000個のテトラポットからできている。H型テトラポットは一個25トンある、中央のアームを直角に曲げて、お互い交差させることで、海からの並の衝撃を緩和してダムを守っている。
テトラポットというと、どうしてもシンガポールにいたN君、いまはHIV感染のため日本に強制送還され、某東京○ーレックスに勤務中のN谷君を思い出す。彼の下半身は野獣のようで、どこでもHしてしまうのが特技だった。特に、鎌倉の海に女性を毎週誘い出し、ホテル代節約のために、海岸のテトラポットでずっぽししていた。またそれを自慢していた。ということで、『テトラポットN谷』と呼ばれていた。。ここなら7000個もテトラポットがあるのでやりがいがあっただろうに、、、
それはともかく、ダムを歩行すると 中央に標距離柱M018がある、右手には、船でしか行けない、波邊洲という断崖絶壁の島が見える。
岩石を積み上げられてつくられたようなダムを歩きると、さっきのスパッツおやじ軍団が座っていた。スパッツが破れて歩けなくなったのかと心配したが、どうやら昼食を食べているようだった。
左手に進むと、長いなだらかな石段がはじまる。左側の岩は所々崩れている。落石注意の看板が出ている。
しばらく登ると、背後には萬宜水庫が綺麗に見下ろせる。
ちょうど、その時、携帯電話が鳴り始めた。日本の友人(仙台のプレーボーイK先生)が、香港マイタン日記を読んで、ちょっと聞きたいことがあるから電話したとのこと、軍事教練中だったので、あとにしてもらった。
大日本愛国党のS氏は『軍令部からの無電か?』と聞かれた友人からだというと『訓練中にとんでもないな』と吠えた。こんど運転モードではなく、軍事訓練モード『ただいま、軍事教練中で電話に出ることができません』というのをNTTドコモに作ってもらわねばと思った。
標距離柱M020を過ぎると、右側に浪茄灣(写真上)のきれいな海岸線が見えてくる。
その後、道標が突然出てきて、ステージ1は終了だ。普通、ステージの切れ目は車道があるのだが、ここは珍しく山の中だ。ここで、疲れたからといってリタイアすることはできない。12時45分だった。ステージ1は2時間半で攻略することができた。
続く、、、、
