2007年03月04日
香港 登山『マクリホーストレイル ステージ5』
ステージ5『大老山−標距離101』3.5キロ 1時間
ステージ5は、戦争遺跡が点在する戦争トレイルだ。ステージ4でくたくたの私だったが、大日本愛国党のS氏は、軍帽をかぶり直し、やる気満々だ。
本来のステージ5は『大老山−大埔公路』10.6キロ 3時間 難易度2 なのだが、今日は、標距離柱M101の沙田坳で離脱する。しかし、MTR『黄大仙』まで、そこからさらに30分ほど下らなければいけないので、日暮までそんなに余裕はない。。(ステージ4の詳細)
坂をちょいと下ると、標距離柱M094がある細い車道に出る。ここを右折して、200メートル弱、下ると、大老山は左という標識がでてくる、ここを左折だ。ここから、戦争遺跡の旅が始まるのだ。
木々に覆われ、いまにも敵英国軍兵士がでてきそうな林を進むとすぐに英国軍が敷設した座標石(Marker Stone)を発見した。敵兵が潜んでいないか気をつけながら進軍した。
標距離柱M096を過ぎると、大きな地滑りが発生したようで、大規模な工事が行われていた。もともとのトレイルの道は跡形もなく、谷底に落ちてしまったようだ。。
その先の石段を上がると、また座標石(Marker Stone)を発見した。
さらに坂道は続く、、、
そして、ちょっとわかりにくいが、英国軍が網の目のように掘った戦壕(Trench)の一部を発見した。いわゆる塹壕だ!
その後、急に開けた場所に出た。目の前には標高577メートルの大老山が見えた。山頂には気象観測所の白い円形ドームが見える。警戒が厳重なので、破壊することは出来なかった。。。。
しばらく行軍すると、鬱蒼とした林の中に、今度は、わが日本軍が一人一殺のために掘った地洞(Cave)が現れた。非常に小さい穴だ。
大日本愛国党のS氏は、直立不動で敬礼していた。『大日本帝国万歳!』と三回叫んだ。。。。こんな狭いところで、お国のために死力を尽くしていたんだ。。と S氏はしみじみと語った。。。
さらに坂道を下ると、沙田坳道の車道に到着だ。そこは、右折しよう。。
ここからは、ウィルソントレイル ルート4と重なる。以前、S氏と歩いたことがある車道だ。。
意外に交通量が多いので気をつけなければいけない。狭い道なのに、ガンガン飛ばしてくる。ハイカーなどお構いなしだ。
標距離柱M098から今日のゴールM101までの1.5キロはずっとこの車道の下り坂なのだ。
疲れきった膝にこたえる。。。ジグザグに歩いてすこしでも、膝に負担をかけないように歩いた。。。
左手後方には標高542メートルの東山が見えた。
左手には九龍の街が見下ろせるのだが、ガスっていてよく見えない。
香港の大気汚染は深刻だ。。。大陸のちゃんころに乱開発をやめさせなければ、地球は本当に人間が住めなくなるぞ!!!S氏は『そのためには、早期に香港及び、中国大陸をわが日本軍が占領しなければいけないんじゃ』と吠えた。
パキスタン人が経営しているという恒益商店も元気に営業していた。。。
しかし、ここで終わりではない。。。MTR黄大仙まで さらに坂道を下らなければならない。。。
この付近には、湧き水があり、貧乏人の香港人たちが、水をいたるところでペットボトルに入れて運んでいた。。飲料水にするのか?? 一日何回汲みに来ればすむのだろうか????
いつものように、MTRまでの単調な坂道を下った。。。。途中 S氏が、突然叫んだ『なんじゃ あのタクシーは!!!』 よくみると、そのタクシーはラッパのマークの征露丸の宣伝が!!!しかし「行人偏」が無く正露丸になっていたので、S氏が怒ったのだった。いかんなペンキで書き加えねばと。。しかしタクシーはその場からすぐに走り去った。。。
しかし、ラッパのマークはどうみても、わが大日本帝国陸軍の突撃ラッパだった。
