2007年03月22日
知覧 『ほたる館 富屋食堂』
霧島温泉郷から今日は指宿温泉に移動する。
国道223号線を南下し、東九州道の隼人東ICから高速道路に入った。
加治木ICからは九州自動車道をひた走り、鹿児島ICから、指宿スカイラインに突入した。
途中のサービスエリアの売店に 『二郎さん』がいたが、飾り物だった。
途中、錦江台展望公園(スカイぱれっと)があったので立ち寄ることにした。駐車場から、つり橋をわたるり階段を上ると、左手に桜島が見える。すこしガスっていたが、大隈半島まで見渡すことができた。
知覧ICで降りて、『ほたる館 富屋食堂』に向かった。
特攻隊員が出撃の前に、訪れたのがこの富屋旅館だ。この旅館には当時、鳥濱トメさんがという女性がいて、特攻隊員の遺書を預かったり、私財を投げ打って、死んでいく隊員たちの世話を母親のようにしていたのだ。
平成13年10月に外見は当時とおなじように、資料館として復元された。2階建ての内部には、特攻隊員の遺書や、写真などが展示されている。
私は、25年前に知覧を訪れたが、そのときはなかった建物で、今回初めて見学した。
資料館内部は撮影禁止のため、残念ながら写真では紹介できない。
この鳥濱トメさんについては、ぜひ『ほたる帰る』を読んでほしい。最後まで読むのが辛くなるような内容だが。。参照⇒『ホタル帰る』 知覧陸軍特別攻撃隊の悲しい物語
入口で入館料350円を支払い、富屋食堂と書いてある暖簾をくぐると、狭いが、圧倒的ななんともいえない重い空気を感じる。
17歳の特攻隊員(陸軍少年飛行兵)のあどけない写真と達筆な遺書が涙を誘う。。
『ホタル帰る』の中にも記されているが、『明日ホタルになって帰って来るよ』とトメさんに言い残して出撃していった宮川軍曹の写真もあった。
『日本は負ける、自由主義に負ける、そして 米英もいつかは負けることを知るだろう、、』といって出撃した 上原少尉の写真や長文の遺書も展示されていた。
もともと、知覧飛行場は、昭和16年12月10日に開かれ、陸軍少年飛行兵の訓練基地として利用されていた。しかし、3年後、圧倒的不利な戦況を打開するため、本土で一番南方にあるこの飛行場が、陸軍特別攻撃隊の基地として利用され、1036名の若者が特攻していったのだ。
2階に上がると、鳥濱トメさんのインタビューや、特攻隊の映像がエンドレスで流されていた。
狭い資料館だが、気がつくと1時間も見学していた。10代の若者が特攻隊員として出撃したこの悲惨さは、言葉ではうまく表現できない。私は、九七式戦闘機や一式戦闘機『隼』に250キロ爆弾を搭載して、沖縄まで、600キロを2時間ほどで飛び、敵艦船に突入していった若者に合掌した。
ほたる館『富屋食堂』 0993-58-7566
鹿児島県川辺郡知覧町郡
開館時間 9:00-17:00
年中無休
入館料 大人350円 小中学生250円
『富屋食堂』の裏には、戦後、特攻隊員の遺族が知覧を訪れたとき、泊まる場所がないと困るだろうと、トメさんがはじめた富屋旅館がある。
『富屋旅館』
鹿児島県川辺郡知覧町104
TEL:0993-83-4313
今年の5月12日 鳥濱トメさんの話を元にしてつくられた、映画『俺は、君のためにこそ 死ににいく』が公開される。ぜひ日本人としてみておきたい作品だ。予告編↓

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> あした知覧に行きます。
> 出来れば寄りたいと思ってます。

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出来れば寄りたいと思ってます。