2007年03月23日
知覧特攻平和会館
富屋食堂を後にして、10分弱で『知覧特攻平和会館』に到着した。
大学時代(25年くらい前)に友人と3人で訪れたなつかしい場所だ。
特攻平和会館は、新しく改装されていた。以前は知覧特攻遺品館という名称だった。昭和60年に2年間かけて改装して『知覧特攻平和会館』となったようだ。
駐車場から平和会館に向かって右手には、映画『俺は、君のためにこそ 死ににいく』の撮影のために本物の設計図を取り寄せ5000万円で製作された一式戦闘機『隼』が展示されていた。
その先には、昭和49年に建立された、特攻銅像『とこしえに』がある。
右隣には、私が、以前 航空自衛隊の静浜基地で操縦したことがあるT-3初等練習機(写真下)が展示されていた。
さらに左手に進むと、そこには、両側に特攻で犠牲になった方々の灯篭が建てられており、その奥に特攻平和観音がある。この観音堂も平成16年に改築された新しいものだった。観音様の体内には特攻で散っていった1036英霊の霊名録が収められている。
『三角兵舎』とは、
特攻隊員の宿舎で、米軍機に発見されないように、松林の中に半地下壕をつくり、屋根にスギの幼木をかぶせ偽装していた。出撃前夜はこの三角兵舎で壮行会が行われた。
いよいよ、『知覧特攻平和会館』の見学だ。以前訪れたときは、木造だった記憶があるが、いまでは、改築されずいぶん立派な建物になっていた。これも時代の流れか、
撮影禁止なので内部の写真はご紹介できない。
館内は右回りに見学するようになっている。壁には出撃順に出撃日、氏名、所属部隊が書かれた写真が展示してあり、遺書、遺品などがガラスケースに整然と並べてある。次々に17歳から20歳の若者の写真が目に飛び込んでくる、遺書の内容もさることながら、その達筆なところにあらためて感心した。
館内に入場して、中央には、日本陸軍の三式戦闘機 飛燕(当時、日本唯一の液冷式の新鋭機)が展示してある。
この『飛燕』の前で、会館の方(写真左)が、修学旅行の女子高生を座らせて説明をしていた。
かなり年配の方だが、特攻隊の生き残りの人ではない。しかし、その当時の話をわかりやすく、しかも力強く感動的に話していた。15分もたつと、館内の見学者が集まり始め、結局45分ほどの時間だったが、最後には100名近い人があつまっていた。女子高生に『この知覧特攻会館でなにかをつかんで帰ってほしい』と切々と説くその姿が印象的だった。
説明を聞き終わった特攻隊員と同世代の女子高生が熱心に遺書を書き写していた。
ほかにも、修学旅行の生徒がかなりいた。最近、修学旅行で海外に行く馬鹿学校も多いらしいが、ぜひ、中学・高校生にこの知覧を訪れてもらいたい。。
館内には、四式戦闘機『疾風』(写真上)も保存されていた。
戦後、鹿児島県甑島の手打港沖から昭和55年に引き上げられた 日本海軍の零式艦上戦闘機『零戦』いわゆるゼロ戦も展示されている。
この館内には、1036名の特攻隊員すべての写真が展示されていた。彼らは、いったい何を思って死んでいったのであろうか。。彼らがそこまでして、守りたかったものはなんだったのだろうか、、
25年前、大学時代にこの地を訪れた時、特攻隊員の写真・遺書の前で動けなくなり、見学後はしばらくの間、会話もできなかったほど衝撃的な体験だった。
2度目の今回も、時間が過ぎるのも忘れて、特攻隊員の遺書を読んでしまった。2時ごろに特攻会館に到着したのだが、気がつくと閉館時間の5時になっていた。
我々は、日本のため、家族のために、知覧飛行場を飛び立ち開聞岳で翼を上下に振りながら日本に別れを告げて、沖縄の敵艦船に特攻していった若者がいたということを忘れてはいけない。
『知覧特攻平和会館』 0993-83-2511
開館時間 9:00-17:00(入館は16:30まで)
入館料 大人 500円 小中学生 300円
年中無休
今年の5月12日 映画『俺は、君のためにこそ 死ににいく』が公開される。
