2020年10月23日
半沢直樹 本当に最終回Death!みなさんありがとうございました!
11月で埼玉銀行を退職した私は、12月1日いつもなら6時過ぎに
家を出るのだが、、8時頃まで寝ていると
オヤジが、『おい、、銀行はどうした、、』と起こしに来た、、
お袋には銀行やめたと伝えたがオヤジには言うのを忘れた
『おお、、辞めたよ、、』と言うと、、
かなり悲しい顔をしていた。。ヤクザな家系だが銀行に就職した時は
喜んでいたオヤジだった、、悪いことをしたと思った。。
親父は昭和3年生まれ、中学中退でその当時の倍率は
100倍以上の陸軍少年飛行兵を受験して
志願兵となり特攻隊員でお国に尽くしたが
何度か出撃したようだが鹿児島の特攻基地知覧で終戦!
奇跡の帰還!とはいえいわゆる特攻くずれだ、、
学歴がないので仕事は新橋の闇市からスタートした
親父は裕福ではないのに、私と兄貴を私立の中学と高校に進学させ
兄貴は優秀だったが左翼に転落し、私は頭はバカだったがなんとか
地銀のような埼玉銀行に就職できて親父は満足げだった。
親父のヤクザな姉に就職の報告をした時、
『埼玉銀行?聞いたことないね、なにそれ信用金庫?
バカはやっぱりバカな会社にしか勤められないね』
このババアも親父同様、江戸っ子で口が悪い
親父の姉は若い時に第一勧業銀行に勤務していたので、
まあしょうがないか、
でもこのババアは、ヤクザの妾だったくせに、良く言うぜ!
明治生まれでまだ生きているが
17年ほど前に親父の葬式の後で大げんかしてそれ以来、音信不通だ
まだ生きていると言うから驚きだ!憎まれっ子世に憚るだ
とりあえず、びっくりすると同時に落胆する親父に、、
為替ブローカーになるといったら、何のことだかわからないようで
『ブローカー??戦後の闇屋とおなじか?俺もやってたぞ』
バブル為替ブローカー時代の話は昔書いたので→こちらへ!

『銀行やめて、今度は何を売るんだい!靴か、時計か?』と言われた
死ぬまで私が何をしているのか、わからなかったみたいだ。
でも、結婚式に、サイギンの先輩と銀行のディラーさんがたくさん
参加していて、『へ〜〜闇屋の結婚式に銀行員が来るんか』
と驚いてて感慨深い顔をしていた思い出がある。
外人もたくさん参加していたが、親父が『あれはアメ公か??』
『いや、あいつはイギリス人だ』というと、
『おいらに見分けがつかんな、どっちにしても鬼畜米英だろ
俺は奴らと命懸けで戦ったんだ、今更死んだ戦友にも申し訳が立たん、
そもそもおめでたい席に、毛唐はいかんな!!』とマジ怒っていた
めちゃくちゃなオヤジだったが、感謝している。
ごめんよ!親父、一度も親孝行しないうちに癌で死んじまった
俺は半沢直樹じゃないからバンカーは務まらなかったんだよ
そして、俺はダ埼玉銀行で巨人の星も掴めなかったよ〜〜
倍返しできない実録半沢直樹物語は今回で終了Death!!
みなさんありがとうございました







どうでもいい話だが、、続けさせていただきます!!
銀行から為替ブローカーに転職して
さらに1993年香港のスイスに本社がある
インターマネー香港という会社に出稼ぎに行く時、
平成バブル無責任時代!ブローカー物語をご覧ください→こちら
親父が『満州に行くならこれを持っていけ!
昔は三八式歩兵銃を持っていったもんだ』と
歩兵銃のかわりに、赤樫の木刀を護身用?に手渡された、
『満州でもないし、香港なんだよ』というと
『チャンコロがたくさんいるんだろ、あぶねえじゃねぇか』
『ビジネス!仕事で行くんだよ、戦争じゃないんだよね』
『まわりはチャンコロだらけだろ、いったい何人いるんだい』
その当時は香港の人口は600万人くらいだった。。
『600万人?そりゃ〜ていへんだ、日本人は何人だ〜〜』
『4万人くらいかな、』
『たった2個師団じゃねえか、あぶねえ、やっぱり持っていきな』
『竹槍や木刀でどう戦うんだよ、、無理!!』
『一人や、二人は倒せるだろ、こいつがあれば』
(結局この赤樫の木刀、引越しの荷物に忍ばせて香港まで運んだ)
いざとなったら、俺も乗り込んで剣道3段の
腕を見せてやるから、それまで頑張れ、、、
俺が実家を出ると、旧帝国陸軍式敬礼で、
俺が見えなくなるまで見送ってくれた
まるで出征兵士を送り出すような感じで、
『チャンコロに負けんなよ!!』と大声で
とにかく死ぬまで、めちゃくちゃな親父だった!!
死んじまうまでは、本当にうっとおしい親父だったが、
死んじまうと、、親孝行したい時には親はなしだ!
NHK大河ドラマ『勝海舟』(1974年)46年前だ
渡哲也が勝海舟役で父親の勝小吉は先代の尾上松緑だったとき
親父は、生まれも育ちも下町江戸っ子でこのドラマの勝小吉に
話し方や振る舞いがそっくりだった。。
息子の勝海舟が幕府禁制の書物を所有したり
大罪人を匿ったりしているのを見て

勝小吉が、
『おいらには学がねえから難しいことはよくわからんが、俺らは少ねえけど幕府から食い扶持をもらっている幕臣だ、、幕臣ってことを忘れちゃあいけねえぜ、俺が言いたいのはそれだけだ』
という場面があったが、、鮮明に覚えているんだよね、
親父が、俺が銀行でノルマを達成するために
めちゃくちゃなことをしていた時
『ちょいと、ここに座れ』と言われ
『お前がどうしようと勝手だし、お前の人生に口を挟む気はさらさらねえけど、日本人ってことを忘れちゃいけねえぜ、だからよう、人の道だけは踏み外しちゃいけねえ』
『俺が言いたいのはそれだけだ』
とポツリと言われたことが今でも忘れられない
ということでパート29までお付き合いいただき
ありがとうございました。。ずっぽし!!!!
また明日からは普通のマイタン日記に戻ります〜
半沢直樹 倍返しできない実録銀行員生活
前回までのあらすじ(読み逃した人へ)
過去記事まとめ→こちらからご覧ください
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この記事へのコメント
2. Posted by 管理者 2020年10月25日 00:11
>>1
暖かいコメントありがとございます!ずっぽし〜〜
暖かいコメントありがとございます!ずっぽし〜〜
1. Posted by Yumeko 2020年10月24日 20:15

ゲラゲラ笑えるのに何故か涙が流れてしまいました。
お父様の愛情表現が星一徹を越えてます。