銀行員就活・新入社員日記
2006年05月31日
新入社員奮闘記 vo3
今回は支店編part2だ、銀行というのは、女性ばかりの職場だった。
ハイカウンター(窓口係)はたいがい、支店の一番美人が座る。
2列目以降はあまり、見せたくない女性、
はっきりいってブスな女性を配備している。
あからさまな人事だ。しょうがないな。
当然、ハイカウンターの女性に支店内でも人気が高い。
ある日、飲み会があった。
だいたい銀行の飲み会はやたらに盛り上がることが多い、
普段、鬱積しているものがあるのだろう。
その日もそうだった。その支店のアイドルも、がんがん飲んでいた、
結局、送っていけと言われて(内心、ラッキー)、、
同じ方向だったので、タクシーに乗り込んだ。それがまずかったのだ。。
しばらくすると、気持ち悪いと、、、言い始めた、
タクシーの運転手に車をとめてもらった。どうしていいかわからない。そんな美人がもどしているのだ。。
また、車を発進してもらったが、また気持ち悪いからと、
もうしょうがないから、途中で降りようと、
運転手に『適当なところで止めてください。』と頼んだ。なにを勘違いしたのか、運転手はわかりましたと、
気がつくと、ラブホテルに侵入しているではないか。。
彼女は車から降りると部屋に入ったいった。後に続いて成り行きで、ラブホに入ってしまった。。なんだか、田舎の一軒家風のラブホだ。よーしと?はやる気持ちを抑えて部屋に突入した。
彼女は気持ち悪いと、部屋に入るなり寝込んでしまった。
ちょっとはだけている。いいながめだ、、
なんて言っていいる場合ではない。しばらく金縛りにあったように、
呆然としていた。まだこのころは、うぶだった。。。
とりあえず相手は寝ているが、こちらは、トイレにも行けない。。
そんなことをしているうちに朝になってしまった。
支店でイチバンの美女を手篭めにする千載一遇のチャンスを失ってしまった。
彼女は突然起き出し、帰らなくちゃと、なれた手つきでフロントに電話をしてタクシーを呼んでいる。。。。。
また唖然とした。。。おれより上手だ。
翌朝、金庫内ではしごにのりながら、開店のための作業をしていると
彼女が金庫に入ってきて、『昨日はごめんなさいね!朝になっちゃって!』と
ところが、金庫内にはたくさんの女子行員がいる。
みんな耳がダンボ状態だ。はしごから落ちそうになったぜ、なんだかわからない新入社員時代だった。
だんだん支店内に噂がひろがっていった。、当然、私がずっぽししたということで、、当時付き合っていた彼女に、実はこういうことがあってと報告したのだが、やはり、ずっぽししたと勘違いされて、泣かれてしまった。
一方でラブホまで行ったのに何もしなかったという噂も流れて、
『口ほどにも無い人ね』と言われたりした。
いまだに、そのころの関係者と会うことがあるが、
私が彼女とずっぽししたと確信している人がほとんどだ。
結局、彼女は支店の先輩と結婚したのだが、
その先輩からも1度くらいしょうがないよなと、
お前とは穴兄弟だな。と、いまでも、言われる。困ったものだ。
そんなことなら、ずっぽししとけばよかった。
2006年05月06日
新入社員奮闘記 vo2
これまた、20年以上前の話だが、4月1日の、入社式の話だ。
一人だけ私服で来ているやつがいた。埼玉銀行にはめずらしい。
東大卒のやつだ。なめてんじゃねえよ!
そういえば、卒業旅行で、ヨーロッパを一周したのだが、
その移動中のバスで自己紹介した時、
『どこから来たんですか』と聞かれて、
『東大から来ました』と答えるやつがいた。
延髄蹴りを食らわせてやろうかと思った。あほかお前は!
新入行員のときの話だが、大きな支店(120人くらい)に
配属されたため同期が11人いた。
ただし、男性は2人あと9人は女性(ほとんど高卒)だった。
最初の儀式ということで、女子社員は全員、保護者同伴で初日に来社していた。
まるで母親参観日状態だ。いい年して。
狭い会議室に支店長からの訓示を受けるために、
新入社員とその保護者一緒に待たされた。
隣に立っていたその保護者のばばあが私に話しかけてきた。
『あなたの娘さんはどちらですか?』
おいおい、おれも新入社員なんだよ馬鹿野郎!むかつくばばあだ!
そんなに老けてねえよバーローー
新入社員の仕事は、朝7時からでかい駐車場の掃除からはじまる。
来る日も来る日も札束や硬貨の整理ばかりだ。
店外に3箇所ある店舗外ATM(現金自動預け支払い機)の、
現金の補充や故障時の対応ばかりだ。
そして家に帰宅するのはいつも決まって深夜12時ころだ。
ATMは今は警備会社に監理を委託しているが、
その当時は、全て支店の行員が対応していた。
朝すべてのATMに 1010万円(一万円札を1000枚、千円札を100枚)詰め込む。
給料日後は3000万円くらい入れておかないと、
すぐに停止してしまう。
意外にレシートが詰まって停止する場合が多い。
現金を取り忘れていく馬鹿もたびたびいる。
それにしても、近年小型ブルトーザーでATMごと持ち去る強盗がいるが、大げさな割には、1台のATMにはせいぜい3000万入っていればいいほうで、泥棒も割に合わないことをしているといつも感じる。
銀行は3時で窓口が閉まるが、それで仕事が終りなのではない。
そこからが勝負だ、一日の集計と現金をあわせるのだ。
1円の誤差も許されない。集計と現金がそれぞれあうと、
店内のベルを2、3回鳴らして、皆で拍手するのが通例だ。
くだらないが。。
これが、あわないと、何時まででも残って集計をあわせる作業をする。
あるとき、100万円現金があわない。いろいろチェックしたが、わからなかった。
午後9時をすぎて、店舗外ATMをもう一度、調べて来いと言われて、
上司と出かけた。ATMへの現金詰めは、セキュリティのために、
必ず2人で行く。前日もATMに現金を上司と詰めに行ったが、
その日はたまには俺にやらせろと言われて、上司が現金をATMに詰めた。
私が、ATMの内部をチェックすると、
なんとゴミ箱に100万円が落ちてるではないか。
1000万円現金詰めするのに、10個の札帯を解くのだが、
誤ってゴミ箱にその上司が捨てていたのだった。
これが翌日現金があわない原因になったのだ。。
上司からは悪いけど君が、ゴミ箱に捨てたことにしてくれと頼み込まれた。
全員が待つ支店に戻り、報告すると、みんな呆れて怒っている。
支店長も唖然としている。全部のセクションに詫びにいった。
明日からしっかりやれよと罵声が飛ぶ。こんな毎日が続いた。
バーローー
2006年04月17日
新入社員奮闘記
新入社員として埼玉銀行に入社(20年以上前の話だが)すると
くだらない1ヶ月研修というのがあった。
1ヶ月間泊り込みで研修だ。自衛隊じゃあるまいし
毎日 行歌を歌わされて、ラジオ体操までしている。
朝から晩まで研修だ。
酒も禁止だ。 研修中にジュースを飲んでいて、
怒られて、前に立たされて、お前なんか支店に帰れと言われて、
帰りたくありませんと泣いていたあほもいた。
どうしているだろう。埼玉銀行同期の神田君!
とりあえず。威張りまくっている人事部のやつが気に食わなかった
特に原人事部長!!ムカついたぜ
夜、窓から抜け出して。近くの酒屋で酒を調達してきた。
そして気の合うやつで飲みまくり。
よっぱらって『ちょんちょんちょんがらりんの朝鮮人』
『ぶんぶんぶらぶら部落民』とかわけのわからないのりで
大声で騒いでいると、
人事部の人間に見つかって、立たされた。真夜中に1時間以上も。。
支店長に報告すると脅かされたけど、
こんなくだらないことどうやって報告するんだよ
このあほ。勝手にしろ〜〜〜
自由研修と言う時間があった。
各チームにわかれて、地元を取材して、
報告会を行うという企画だった。みんなつまらない企画をしていた。
私は、地元の所沢に行こうといって、
取材先を学生時代に地元のソフトボールチームで知り合いだった、
共産党の池田という市議会議員(私にも左翼の知り合いはいる)に連絡した。
そして埼玉銀行がどれだけ大企業と結託して、
地元零細企業に圧迫をしてきたかとうことをテーマに取材した。
報告会では、地元の商店街が座り込みや埼玉銀行銀行新所沢支店に、1円預金をして業務を妨げたことなど。私も1円預金をしたことがあると。などを報告して、おおいにうけた。
しかし、途中で報告会は中断!人事部の人間に呼び出されて、 『いいかげんにしろ』と怒られたのはいうまでもない。
しかし、つまらない研修だった。途中で、実地研修ということで、
平井支店というところに1日配属された。
下町だから元気にいくかと『へい いらっしゃいませ!』と
来店客があるたびに 大声で叫んでいたら、すぐに次長に呼ばれて、
『ここは八百屋ではないから、もっと上品にしてくれ』と怒られた。
どうせ、田舎銀行のくせになにいってんだい。
だいたい、
ぞうりの裏みたいなくしゃくしゃな顔したおやじが、
何が上品にだ、むかついたが だまって静かにした。
とにかく堅苦しい会社だった。
2006年04月13日
就職戦線異常あり
昔(20年以上前だが)は、売り手市場で就職の時は、
学生がいい思いができた。でも とりあえず、
春ころから真剣勝負だ、
私は、金融志望だった。特に証券会社が希望だった、
でも おやじは 『株屋』(かぶや)といって嫌っていた。
商品先物会社なんぞは『豆屋』(まめや)といって論外だった。
人間の勤めるところではないといっていた。
だいたいそのころはやっと『銀行よさようなら証券よこんにちわ』と
やっと証券会社が市民権を得てきたところだ。
商品先物会社などエテ公(猿野郎)以下だろう。
でもいまでも日本ユ○コ○やら、オ○エ○ト貿易だの『豆屋』に
勤めている馬鹿がいるのにはあきれる。
たぶんチョンジンか人間のくずだろう。
そういう会社に限って、鎌倉の大仏じゃあるまいしパンチパーマや、
総カツラや総入れ歯の役員までいるのがあきれる。
娘もあほだから浪人までして、会社の経費で大学まで通ってる。
まいるぜ。犯罪行為だね。
なんとかどっとコムとかいう会社だったな。
それはともかく、そのころの就職のシステムは
大学のOBを訪ねていって、それが第一回面接、
その後、さらに上の先輩へ、と6段階くらいで、
めでたく採用になる。
その時代は携帯電話はないので、ひたすら、
夜、次の面接の電話を待つ毎日だ、電話があれば
合格なければ、そこで失格という簡単な方法だ。
私は、5,6社を面接を受けていた、N村証券もそのひとつだった。
で、電話をして、早めに休みの連絡をしなければならない。
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