イスラエル突入記
2008年02月03日
イスラエル突入記 嘆きの壁&岩のドーム編(エルサレム)
左手には嘆きの壁(Western Wall)とその広場が眼前にひろがる。
そして、その壁の向こうには、黄金の『岩のドーム』の屋根が輝く。。
とても印象的には光景だ。
嘆きの壁は、紀元前20年、ヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張された神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分であり、ユダヤ人は「西の壁」と呼んでいる。
現在 壁の高さは21メートル、下から7段目までは、第2神殿時代のもの その上の4段が、ローマ時代に付け足され、さらに、その上にある小さな石は、マムール朝時代のもの、地下にも17段 第2神殿時代のものが埋まっている。。
左の階段を下りていくと、テロ防止のため、イスラエル兵が、空港のように手荷物検査をしている。
入場は、24時間無料でできるが、ユダヤ教の安息日の金曜日の日没から土曜日の夕方までと、祝日は写真撮影ができない。(あいにく土曜日だったので 隠し撮りしかない)
壁の祈りの場所は、男性は、向って左側、女性は右側に別れている。女性のスペースは狭い。。
男子は、壁の手前で、キッパという河童の頭のような帽子をかぶらなければいけない。
壁の前では、聖書を読んで祈る人がたくさんいた。壁の手前に聖書も置いてあり借りることも可能だ。
嘆きの壁には願い事が書かれた紙が石と石の間にたくさん詰まっていた。
毎年、春、秋の2回、収集してオリーブの山に保管されるらしい。
1948年ヨルダンの管理下になってからは、ユダヤ人はこの壁に近づけなかったが、
1967年6月7日の第3次中東戦争 6日間戦争でイスラエル軍が圧勝してから自由に祈ることができるようになった。
嘆きの壁のうしろにある神殿の丘にそびえたつ、岩のドーム、、には残念ながら、入場できなかった。
このドームは、預言者ムハンマドが天使とともに、馬にのって昇天したといわれる
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって重要な関わりを持つ聖なる岩を祭っている。
つづく!!
2008年02月02日
イスラエル突入記 エルサレム旧市街と城壁編
さて、次は、要塞のように城壁が四方を囲まれた、エルサレム旧市街に突入だ。
この城壁は1537〜41年までこの地を支配していたオスマン朝のスライマーン1世により再建されたものだ。城壁の長さは4キロ、ほぼ正方形に近い形で、高さは、平均10メートルくらいだ。厚さは5メートル。。8つの門がある。現在では、黄金門以外は常時オープンしている。
黄金門(ゴールデン・ゲート) 左写真中央
ケロデン谷に面していて、背後には、岩のドームがある。
糞門(ダン・ゲート)
嘆きの壁に一番近い門、街の汚物がここから捨てられたのでこの名前がついた。
くさそうな門だ。
シオン門(シオン・ゲート)
シオンの丘に近いのでこの名前がついた。アラブ人は預言者ダビデの墓に近いのでダビデ門とよんでいる。この門を城内に入るとユダヤ人地区がある。独特な町並みだ。
ヤッフォの門(ヤッフォ・ゲート)
地中海沿岸にあるヤッフォから続く門。数千年前、港から陸揚げされた荷物はここから運び込まれたのでこの名前がついた。
新門(ニュー・ゲート)
1889年に造られた、8つの門で一番新しく、一番高い場所にある。1948年〜1967年まではこのもんの外側にヨルダンとの国境が引かれていた。
ダマスカス門(ダマスカス・ゲート)
城壁の北側にあり最も美しい門といわれる。シリアのダマスカスに通じていることからつけられた名前。
ステパノ門(セント・ステファンズ・ゲート)
使途行伝7章に記されている、聖ステパノの殉教がこの付近であったのでつけられた名前だ。
ヘロデ門(ヘロズ・ゲート)
ピラトとともに、キリストを愚弄してガリラヤ領主ヘロデの邸宅が近くにあったたためこの名がつけられた。
城壁の説明はこれくらいにしよう。。
シオン・ゲートから城壁内に侵入した。
途中、ちょいと腹がへったので、カアッハと呼ばれる、ゴマ付きの歯ごたえのあるパンを購入した。解毒作用のある、ザータールというスパイスもつけてくれるが、これをまぶして食べるとうまい!
シオン・ゲートの付近は、ユダヤ人地区でゲットーではないが、独特の雰囲気がある。
世界最古の地図(マダバ地図)にも記載されている繁華街カルド(カルドの列柱) 第3次中東戦争後、発掘された。
続く!!!
2008年01月31日
イスラエル突入記 最後の晩餐の部屋&『ダビデの墓』 エルサレム
鶏鳴教会のあと、あの有名な最後の晩餐の部屋に向った。
イエスキリストが、捕らえられる前夜に弟子たちと食事をした場所だ。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画で有名な「最後の晩餐」(左)を想像しているとちょっと殺風景な部屋に拍子抜けした。
内部には、テーブルや椅子はなく、小さな講堂のようだ。
動画で見るとよくわかる。。↓↓
『最後の晩餐の部屋(Coenaculum)』
開園時間 8:30−16:00
無休 入場無料
最後の晩餐の部屋を出て、階段を下りると、そこは、『ダビデの墓』がある。
ダビデと言えば、ミケランジェロによる包茎のダビデ像が有名だ。
ダビデは、イスラエル王国2代目の王様で、紀元前1000年頃から約40年間統治した。
それくらいしか思い浮かばない。。
とりあえず、入口で、紙製のキッパと呼ばれる皿ののような帽子をかぶっての見学だ。ここエルサレムでは、これをかぶらないと見学できない場所がいたるところにある。
鉄柵で仕切られた墓石のある部屋で、石棺はダビデの星が刺繍された黒いビロードの布に覆われている。↓↓
ユダヤ教の安息日である金曜日の日没から土曜日の夕方と祝日は写真撮影が禁止されている。が こっそり撮影してしまった。手振れは勘弁してください。
『ダビデの墓』(Tomb of King David)
開園時間 8:00−18:00 金曜日 8:00−14:00
無休 入場無料
つづく
2008年01月28日
イスラエル突入記 エルサレム日帰り観光 鶏鳴教会
ゲッセマネの園で逮捕されたイエス・キリストは、シオンの丘に建つ大祭司カヤパの邸宅に向け石段を歩かされ連行された。邸宅跡とされる場所が現在の鶏鳴教会だ。
石段が現存する。2000年前のもので、角は磨り減り丸くなり草が生えているが歴史を感じさせる。
鶏鳴教会は屋根にある風見鶏が目印だ。
鶏鳴教会の名前はイエス キリストの予言のとおり、弟子のペテロが三度イエスを知らないと嘘をついた後に鶏が鳴いたという聖書の話に由来する。そんなペトロを記念して建てられた教会だ。
内部に入ると、鶏鳴教会の聖堂が広がる。ビザンツ時代のモザイクがいたるところにある。
教会内の地下にある牢獄はイエス・キリストが拘束され、最後の晩を過ごした場所が現存するのだ。
牢獄の内部まで見学することができる。
その牢屋の壁に(種馬M君の左手)人影のようなしみが浮かび上っているが、それはイエス キリストをあらわしている。ちょいと不気味だ、
ここから 総督ピラトのところに連れて行かれて裁きを受けたと言われている。
鶏鳴教会 St.Peter in Gallicantu Church
開園時間 8:30−12:00 14:00−17:00
閉館日曜 入場料 7NIS(約210円)
シオン山から見る ケデロン谷・オリーブ山 ↓
2008年01月21日
イスラエル突入記 エルサレム日帰り観光 パート1
今日は先方の計らいでエルサレム1日観光(死海遊泳も含む)に招待された。
朝8時 ホテルに迎えの車が来た。。
テルアビブから1時間ほどのところにある途中の丘で、これからエルサレムへ向う道を見下ろせる丘で記念撮影だ。
左はナザレ方面 右手はエルサレムだ。
イエスキリストが ナザレからエルサレムで処刑されるために向った道を見下ろす丘だ。
さらに 車で30分ほど移動すると、エルサレムを一望できるオリーブ山の展望所に到着した。この標高825mの山からは、神殿の城壁や手前にはケデロンの谷が見下ろせる。
エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教の聖地だ。なんだか独特のムードがすでに感じられた。
金色のドームが 岩のドームだ。
このドームは、イスラム教の第3の聖地。7世紀末に完成した集中式平面をもつ神殿である。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって重要な関わりを持つ聖なる岩を祭ってある。
映像の手前に見えるのはユダヤ人墓地だ。ユダヤ教にとって、最終目的地の聖地エルサレム巡礼。終末の日が訪れるとメシアがオリーブの山に立って、黄金の門が開かれ、死者が復活すると信じられているのでこの地に、ユダヤ人墓地が多いのだ。
次は、オリーブ山の麓にあるゲッセマネの園(Garden of Gethsemane)に向った。ここにある8本のオリーブは2千年以上前のものだ。ゲッセマネとは、ヘブライ語で油絞りの意味だ。かつてはこの地域はオリーブ林でオリーブの精製が行われていた。
ここは、何回もイエスキリストが訪れた場所だ。
ゲッセマネの園(Garden of Gethemane)
開園時間 8:00-12:00 14:30-17:00
年中無休
入場無料
その横には、万国民の教会(Church of All Nations)がある。イエスキリストが最後の夜をすごした教会だ。
苦悶の教会とも呼ばれる。
入口などにあるモザイクはビザンツ様式だ。
教会内にも美しいモザイク画がたくさんある。。。
万国民の教会(Church of all Nations)
開園時間 8:30-12:00 14:30-17:00
年中無休
入場無料
つづく!!!!