平成バブル為替ブローカー時代
2022年04月20日
128円超え大円安で大騒ぎ!でも私はちょいと違うことでビックリ!
最近は、コロナより、ウクライナ、
ウクライナより円安のニュースがもてはやされる
私は、とりあえず、終始ロングポジションで
利益をちょいと出しているのだが😀
昨日、NHKニュースを見ていたら、、
為替ブローカー現場の映像が映し出されていた
何とたった3名😱😱 麻雀もできないぜ
私がブローカーの時(30年前)は、こんな感じだった
築地の市場のような活況だったんだよ😢😢
今なら濃厚接触でコロナ蔓延かもしれないが😱
寂しいな〜〜時代の流れか、ボイスブローカーの終焉
円安相場より感慨に浸ってしまったぜ
昔を思い出し、その時の同僚のことを、、、
みんな元気かい
【バブルのブローカー時代の話】
まだの方はぜひ読んでくださいね〜よろしく
2022年02月17日
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なんでもありの昭和のバブルのお話から☺️☺️☺️
為替ブローカー全盛時代😁ノーパンしゃぶしゃぶのお話!
日本人紹介者を中心に詐欺が横行する香港のお話😱😱
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2022年02月07日
失われた時、盗まれた国: ある金融マンを通して見た〈平成30年戦争〉生きているのに回顧録が出版されてしまった
ブログで色々とくだらないバルブの話をアップしていたら
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平成バブル為替ブローカー時代
まだ生きているのに回顧録が出版されてしまいました😱😱
もうそろそろ年貢の納め時!死ねということかもしれない🪦
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バブル、金融自由化、ITバブル、そしてグローバル経済へ――。
ウラ側から見た“日本金融史”
激動の金融業界の舞台裏では何が行われていたのか? FX会社(外為どっとコム)の創設メンバーが、初めて真実を語る!
なんで日本は、こんなになってしまったのだろう?
平成の30年間という時間は、中世ヨーロッパを揺るがし時代を大きく変えた「三〇年戦争」に匹敵する激動を、日本にもたらした。矛先を内に向けてコストダウンとリストラを執拗に繰り返し、社会や政治の問題をすべて自己責任に帰しているうちに分断が進み、経済大国はいつのまにか貧困大国になっていた。
そんな平成という時代を解く鍵は、金融にあるのではないかとの思いに駆られ、いったい何があったのか、都市銀行・為替ブローカーを経て、FX会社を立ち上げた一人の金融マンの生きざまを追い、日本再起動の糸口を探した。
本書の主人公は――
笹子善充(ささご・よしみつ)。
1961年、埼玉県で生まれた金融マン。1985年に埼玉銀行に入行後、為替ブローカーに転身。88年にメイタン・トラディション、92年にインターマネー、93年に上田ハーローを経て、98年にメイタン・トラディションに戻り、FX会社(外為どっとコム)設立に参加。2006年からシンガポール、2007年からは香港在住。現在はCCM Hong Kong LtdのCEO。
激動の金融業界の舞台裏では何が行われていたのか? FX会社(外為どっとコム)の創設メンバーが、初めて真実を語る!
なんで日本は、こんなになってしまったのだろう?
平成の30年間という時間は、中世ヨーロッパを揺るがし時代を大きく変えた「三〇年戦争」に匹敵する激動を、日本にもたらした。矛先を内に向けてコストダウンとリストラを執拗に繰り返し、社会や政治の問題をすべて自己責任に帰しているうちに分断が進み、経済大国はいつのまにか貧困大国になっていた。
そんな平成という時代を解く鍵は、金融にあるのではないかとの思いに駆られ、いったい何があったのか、都市銀行・為替ブローカーを経て、FX会社を立ち上げた一人の金融マンの生きざまを追い、日本再起動の糸口を探した。
本書の主人公は――
笹子善充(ささご・よしみつ)。
1961年、埼玉県で生まれた金融マン。1985年に埼玉銀行に入行後、為替ブローカーに転身。88年にメイタン・トラディション、92年にインターマネー、93年に上田ハーローを経て、98年にメイタン・トラディションに戻り、FX会社(外為どっとコム)設立に参加。2006年からシンガポール、2007年からは香港在住。現在はCCM Hong Kong LtdのCEO。
2019年11月22日
平成バブルを思い出したぜ! 香港で今年もボジョレーヌーボー!
そういえば今年の5月頃平成バブルの暴露話を書いたら大受け!!
香港やシンガポールでは全く話題にもならない。。
3軒ハシゴしたが飲めなかった。。
安物のボジョレーを商社が買い占めて高くおろしていたわけだ
パンチパーマの役員の皆さん、今頃どうしているのだろうか??
ちょいと書き忘れたぜ、、、バーローーということでもう一話〜
その前に読み逃した人はご一読ください。。
日本では昔からボジョレーというと大騒ぎになるが、、
香港やシンガポールでは全く話題にもならない。。
15年前にシンガポールでボジョレーを飲みたいと
ワインバーに行くとなんでそんな若いワインを飲むの??
うちの店にはもっと美味しいワインがあるよと
3軒ハシゴしたが飲めなかった。。
香港でもそんな感じだ、、
しかし日系のシティスーパーではワインコーナーの端っこで
細々と販売している。。今年も購入してしまった。。
1本150HKドル!!(約2000円)
その年のとりたての安いワインなわけだ、
しかし、ボジョレーというと思い出が2つある。。
まずは、為替ブローカー時代(1980年代)のお話
バブルの時に銀行のディラーさんに配るために
なぜかその当時1本1万円もするボジョレーを
買い占めして夕方配りまくった。
高価でなかなか手に入らなかったので配る価値はあった。
安物のボジョレーを商社が買い占めて高くおろしていたわけだ
同期の坂上(コント55号の坂上二郎)という名前だったので、
二郎と言われていためちゃくちゃなやつが、接待費で
大量に購入して確か200本くらい、、200万円だぜ〜
銀行さんにはちょいとしか配らずに夜な夜な、
お姉ちゃんのいる銀座のクラブとかに一緒に配って
人気者になった。楽しかったな〜〜〜
もうひとつ!これは2000年代の話だが、もう時効だ〜
FX会社(某外為どっとコム)で働いていた時のことだ、、
大株主は2社いたのだが、わたしゃカタギのトラディション社の役員
もうひとつの会社が今はないが、悪名名高かった某オリエント貿易
先物会社だ〜〜〜豆屋と呼ばれていた。。
略してオリ暴(暴力団の略で)から、その本拠地の福岡に
トラディションのO社長とともに2名でお呼ばれした時のお話です。
確かホテルオークラ福岡の和食の個室にご招待!!!
オリ暴のS鳥社長筆頭に、パンチパーマの役員がズラ〜〜りと
全員ダブルのスーツで決めている。。びびったぜ〜
指でも詰めろと言われるのかと思いきや、
いきなり、仲居さんを手をたたいて呼び出してまるでヤクザ映画!
『O社長がワインがお好きだとお聞きしたので
今夜は特別なワインをご用意しました!!!』と、、
確か9月頃だった、、、なんと〜〜〜出てきたのが
前年のボジョレー〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
なんでやねん〜〜〜〜
パンチパーマのヤクザな役員連中は、さすがS鳥社長!お目が高い
美味しい、美味しいと、これまたがぶ飲みしていた〜
無知ほど怖いものはない!!バーローーーーーー
2019年05月07日
平成バブル 為替ブローカー 仁義なき戦いパート2
私は、メイタントラディションを1992年に突然退職して、
香港のインターマネーというブローカーに
セクション全員で(10名以上で)転職した。
同じセクションの部下の給与の件で日銀から出向してきた
マドンナ写真集をゲットしたスケベ専務ともめた末、、
しかし、9ヶ月ほどで見事に失敗、世の中甘くない
日銀や、大手都市銀行からの出向者と喧嘩して
成功するはずもない、、、
私はミスターDKBだったためか、日本のブローカーから
複数社から引き抜き話があり、なんとか香港に連れてきた
10名くらいの再就職先は用意することができた、、
私は帰国して、、帰国した日に長瀬先生と出会った→こちら
話は逸れたが、元に戻そう〜〜
私自身はなんと当時の大手ブローカー
上田ハーローに高待遇で再就職することができた、運が良かった。
でもDKBのディラーM瀬さんが転勤することがわかっていたので
もうDKBのプライスは取れないかもしれませんというと、
上田ハーローの常務が、海外からDKBのプライスが取れないと
クレームの嵐、担当者のブローカーを引き抜けと言われているので
君の入社が決まればそれでいいんだよ、、と、まあ大人の事情か、
しかし、1年間は、転職できない暗黙の引き抜き禁止ルールがあり
元メイタントラディションの戸上さんが怒りだし
上田ハーローに違約金1億円を請求してきた。。
これに驚いた上田ハーローの元日銀総裁の息子さんの森永常務が
半年ほど遊んできて〜となんと半年分の給与が口座に
一括払いで振り込まれてきた、、
大手会社はさすが余裕がある。。
ヨーロッパ、エジプト、アフリカなど次々と旅行した楽しかったな〜
その後大手ブローカーの上田ハーローで3年間平和な時代を過ごした
その当時プロ野球で言えば、最下位の広島カープから
巨人軍に移籍したようなものだ、、
ディラーからもよかったね、弱小会社から大手会社に転職できて
と言われた。もうやめるなよ〜とエールをいただいた。
ところが3年後、、
突如、ロンドンの友達から連絡がり、ハーローがなくなるぞ、、と、
え〜〜〜〜〜なんで、巨人軍は永久に不滅ではないの????
愕然とした。。。
でもこれまた私は運が良かった。。
私のおかげで?ロンドンの社長になっていた外人から電話があり
トラディションに戻ってこないか?とタイミングはバッチリ、、
東京の戸上常務からも電話があり、戻ってこいよ!!!と、、
あれ〜〜〜1年ルールは、罰金1億円は???
『そんなものもうないよ、トラディションは
外資の会社になったんだよ』なんでもありだと
ということで、セクションごと上田ハーローを
夜逃げしてトラディションに出戻りした。。
上田ハーローの役員の方々には、本当に迷惑をかけたので、
これだけは人生最大の汚点だ、、すいませんでした。。
この場を借りて謝罪しても済む話ではないが、、
また弱小球団のメイタントラディション に入社した私は、
いきなり平社員から営業部長に
その当時のO専務に夜逃げ早々呼ばれて、
『君は銀行の電話なんかとっている場合ではないんだ、、
業界他社からどんどん優秀な人材を引き抜くのが仕事なんだよ』
そうでないとこの会社は潰れると、話が違うではないか、
結局、その当時業界では禁止行為の引き抜きをやる羽目に、
上田ハーローはもとより、ハトリマーシャル、八木ユーロ、
日短APなど、次々とセクションごと引き抜いた。
契約書を持って夜な夜な銀座のエスカイヤクラブで面接、、
バニーちゃん可愛かったな〜〜〜
引き抜きは意外に簡単だった、
給与はいくらか聞いて、その倍の金額を契約書に書き込んで
サインさせて終わりあとはバニーちゃんとイチャイチャするだけ
その後は引越し屋を手配したりして夜逃げを手伝うだけ、
驚くことに、O専務は給与などの条件を全部私に一任してくれた。
『まあ、失敗して責任取るのも君だから、全部決めて』と
こうして、毎月のようにどこかの会社のセクションが
なくなりトラディションに移ってきた。
プロ野球のオールスターゲームを見るような感じだった。
2年くらいですぐにトラディションは業界トップになっていった。
他社は全部引き抜き禁止なのに、
トラディションだけ引き抜きするのだから負けるはずもなかった。
最下位の大洋だけが好きな選手を無償で引き抜ければ、
すぐセリーグで首位になれるようなものだ。日本一も簡単だろう
しかし、元からいる社員はどうなったのかというと、
ほぼ全員即解雇!!解雇するのも私の仕事、、
相当恨まれた、、非通知で夜中に電話がかかり『死ね〜〜〜〜』とか
自宅に刃物が送りつけられたり、
この引き抜きの様子は、小学校の同級生の高橋くんのおかげで
倒産寸前の弱小会社がトップに駆け上がる美談として
報知新聞の裏1面に報道され、テレビや週刊誌でも話題に
毎日のように取材を受けた、、私はまたマスコミのおかげで有名人に
しかしやり過ぎてしまった!
週刊朝日の取材の時に、私がオフレコで、このブローカー業界は
日銀の出向者のやりたい放題だと、話した内容が、
週刊誌のトップに!!しかも私の名前入りで、、
日銀から会社に電話がかかってきて大クレーム!!!
始末書を書かされた。。。そして、
ブローカー業界の嫌われ者の大悪人になってしまった。。
これが為替ブローカーとしての最後の仕事になった、、、
続く、、、もうおしまいか、、、〜